松木安太郎×清水秀彦スペシャル対談。1993年開幕戦「ヴェルディvsマリノス」の両監督が伝説の一戦を語る (5ページ目)

  • 中山淳●構成 text by Nakayama Atsushi
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

清水 そう。ヴェルディは後半開始から前線の武田を下げて、中盤に北澤を起用してきた。こっちの4−2−3−1に合わせてくれたので、逆に都合がいいぞと思いましたね。そうしたら、後半早々にショートコーナーからエバートンが練習でも見たこともないようなゴールを決めてくれた(笑)。

 しかもその後、珍しく(木村)和司のヘディングからチャンスが生まれて、(水沼)貴史が詰めて、最後はディアスが決めた。どのタイミングで下げようかと考えていたベテラン3人が活躍してくれたわけです。当時は同点の場合は延長PKまであったので、追いつかれるまではもう選手を代える必要はない。結局、そのまま終わったので、交代カードは一枚も切りませんでしたね。

---- 松木さんは、あの試合の采配で後悔していることはありますか?

松木 やっぱり負けた試合の話はしたくない(笑)。もちろん、あとで考えたことはたくさんありますけど、試合は勝ちか負けしかないので、もう仕方ないですよ。

清水 これは個人的な感想なんですけど、あの試合を終えて「ああ、本当にいいゲームができてよかったな」って。自分の立場で言うのも変だけど、すごくいいゲームだったと思います。強いと言われていたチーム同士が期待どおりの内容のゲームができた。浮ついたところもなく、フェアで中身の濃いゲームができたのは、やっぱり成熟したチーム同士だったからだと思うんですよ。

松木 勝ったほうは余計にいいゲームに思えるでしょうね(笑)。こっちはスタートダッシュをしたかったし、やっぱりどこかに悔いの残るところはありますね。とにかく次の試合に切り替えるしかない。それでシーズンの最後に上に行って優勝できたので、僕としては監督としての責任を果たせたと考えていますけどね。

 それと、当時の周りの評価では、ヴェルディは攻撃的なチームと見ていたようですけど、実はディフェンスのチームだったから優勝できたと僕は思っているんです。クローズアップされるのは点取り屋だけども、その裏で踏ん張っているのはディフェンスラインと中盤だった。あれだけ主力を欠く難しいシーズンで、チームとしての底上げもしなければいけなかったことを考えると、それこそフロントも含めたクラブとしての総力によってタイトルが獲れたと思っています。

(後編につづく)

【profile】
松木安太郎(まつき・やすたろう)
1957年11月28日生まれ、東京都中央区出身。中学1年から読売サッカークラブに加わり、1973年にトップチーム昇格後、1990年に引退するまでリーグ戦269試合に出場する。日本代表ではサイドバックとして12試合0得点。引退後は読売クラブのコーチを務め、1993年に35歳の若さでヴェルディ川崎の監督に就任した。1998年にはセレッソ大阪、2001年には東京ヴェルディで指揮を揮う。現在はサッカー解説者として絶大な人気を誇る。

清水秀彦(しみず・ひでひこ)
1954年11月4日生まれ、東京都出身。浦和市立高→法政大を経て1977年に日産自動車サッカー部に入部。FWとMFでプレーして1988年に引退。引退後は横浜マリノスでヘッドコーチに就任し、1991年から1994年まで監督を務めた。1996年にはアビスパ福岡、1998年〜1999年は京都パープルサンガ、1999年〜2003年はベガルタ仙台で指揮を揮う。現在はサッカー解説業のかたわら、ジュニア世代の指導にもあたっている。

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