中村俊輔、ベンチ外という屈辱の日々。キング・カズ「サッカー、楽しいな」の言葉に勇気をもらった (2ページ目)

  • 中島大輔●取材・文 text by Nakajima Daisuke
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

【自分のサッカー感は間違いじゃない】

「サッカーだけに向き合って、燃え尽きたい」

 愛着という言葉では片づけられないほど思い入れがあるマリノスを2016年限りで退団し、新天地のジュビロに移る際に中村はそう言った。当時から5年が経ち、横浜FCで43歳を迎えた2021年後半、中村にはある種の充足感があった。

「サッカーと向き合うことがこの半年でできたから、もう満足っていうか、いいかなっていうのはあったんだけどね」

 2021年は12試合で0ゴール、0アシストに終わったが、決して数字には表れない感覚が残った。苦しんだ過去2年とは、明らかに違うものだった。

「最後の5節ぐらいを交代出場で出て、流れを変えられたんだよね。その感触で、『なんかまだ、できるんじゃないかな』って。あれがなかったら、早さん(早川知伸前監督/今季はコーチ)がいなかったら、やめちゃっていたかもしれない。またグラウンドに入ってプレーしたら、自分のサッカー感はやっぱり間違いじゃないって確認できたから。自分の感覚を戻せたことが、すごくよかった」

 2019年途中、中村は出場機会を求めてジュビロから横浜FCに移籍した。クラブにとって13年ぶりのJ1昇格に貢献したが、翌年はリーグ戦で10試合の出場に終わる。故障を除き、サッカー人生で初めて"ベンチ外"という状況に置かれた。

「40歳とか41歳で、初めて何もないのにベンチ外になった。ベンチ外の選手用の練習とかもあるし、屈辱的だったよね。ワールドカップの南アフリカの大会中みたいな感じだった」

 31歳で迎えた2010年W杯南アフリカ大会は、サッカー人生の"集大成"と位置づけていた。

 だが開幕直前、岡田武史監督が戦い方を変えたなか、思うように調子を上げられなかった中村は日本代表の中心選手から控えに回る。チームがベスト16進出を果たした一方、わずか26分しかピッチに立てなかった。それでも、川口能活らとともに積極的に声を出すなど、サポート役としてチームを支えた。

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