2021.12.31

福田正博が語る、阿部勇樹と大久保嘉人。記憶にも記録にも残るふたりの功績とは?

  • text by Tsugane Ichiro
  • photo by Getty Images

福田正博 フットボール原論

■今季もJリーグから多くの選手たちが現役を引退した。そのなかでJ1歴代4位の590試合出場を果たした阿部勇樹と、2013年から3年連続得点王を獲得した大久保嘉人について、福田正博氏がその功績を振り返った。

今季で現役を引退した阿部勇樹(右)と大久保嘉人(左)今季で現役を引退した阿部勇樹(右)と大久保嘉人(左) この記事に関連する写真を見る 【現場の人間を虜にした阿部勇樹の能力】

 今季も多くの選手たちが現役を退いた。最後はコロナ禍による観客数制限のないスタジアムで、プレーさせてあげたかったと思う。

 阿部勇樹(浦和レッズ)と大久保嘉人(セレッソ大阪)は、そのなかでも多くの人たちの注目を集めてユニフォームを脱ぐことができた。彼らの歩んできた実績を考えれば、この情勢下にそれができたのは数少ない救いに感じる。

 阿部とは浦和レッズのコーチをしていた2008年から2010年まで一緒に仕事をしたが、彼への評価はそれ以前の外から見ていた時と、一緒にやってからでは一変した。ボランチ、センターバック、サイドバックなど、どのポジションを任せても抜群のプレーを見せ、戦術理解度も高い。スプリント能力はそこまでないけれど、バネがあって、ものすごいステップワークをする。能力の高さは群を抜いていた。

 私に限らず、阿部を実際に手元に置いた現場の人間は誰もが驚いていた。当時の浦和のミーティングではたびたび「あと2、3人、阿部勇樹がいれば......」と話に出るほど評価は高かったものだ。

 こうした阿部にまつわるエピソードを披露すると、いまでは誰もが納得する。しかし、当時は驚かれることのほうが多かった。それは外から見る人が、阿部だけを追っていなければ気づかない地味でいいプレーが多かったからだ。

 阿部がJリーグにデビューしたのは、私がまだ現役だった1998年。当時の史上最年少Jリーガーとして話題になった。あの頃のジェフユナイテッド市原には将来を嘱望される選手が多いと評判だったこともあって、「未来の日本サッカーを背負う選手なんだろう」と思う程度だった。