豊田陽平が語る移籍、J2残留、そして「死んでいないことを証明したかった」
瀬戸際で戦った男たち(3)豊田陽平
11月28日、栃木SCはギラヴァンツ北九州に勝利し、最終節を残してJ2リーグ残留を決めている。
「残留争いはしびれますよ。緊張感でひりひりするというか......。でも自分のキャリアを振り返ると、そういう状況で必要とされてきた自負があって、自分の力でいいほうに持っていけると信じています」
豊田陽平(36歳、当時・栃木SC)はそう語っていたが、見事に「残留」という答えを出した。16試合出場3得点。数字以上の「プロフェッショナルな姿勢」が、J1経験のないクラブの士気を高めた。
豊田はサガン鳥栖をJ1に導いた立役者で、日本を代表するストライカーのひとりと言える。鳥栖のエースとして優勝争いや得点王争いに絡み、クラブの英雄となった。鳥栖初の日本代表選手にもなり、アルベルト・ザッケローニ、ハビエル・アギーレ、ヴァイッド・ハリルホジッチと、3人の代表監督から招集を受けている。
鳥栖でサッカー選手のキャリアを終えることは、既定路線だった。しかし彼はあえて、J2栃木に完全移籍する道を選んだ。
「もう一度、サッカー選手としての生きがいを感じる場所で」
そう語る豊田は、寒くなり始めた北関東の地でサッカー選手人生を肌で感じていた――。
今年7月、J1のサガン鳥栖からJ2の栃木SCに移籍した豊田陽平この記事に関連する写真を見る 2021年2月、豊田は鳥栖での新シーズンに向け、手ごたえを感じていた。"ダメなら最後のシーズンに"という覚悟だった。しかしキャンプから思った以上に体が動いて、ゴールも奪えていた。J1で100得点も目前(98得点)で、ひとつの区切りとして気合も入っていた。
ところが、満足にピッチに立てない試合が続いた。
「36歳になりましたが、慢性的に痛みを抱える箇所もなく、"やれるぞ"と思って、自分のなかで炎を燃やし続けてやっていましたが、練習と試合のサイクルをこなせないと、日々状態が悪くなることに焦りを感じました。試合で戦う用意だけはしていたんですが......」
5月19日、ルヴァンカップのアビスパ福岡戦でメンバーに入ったが、最後まで出場機会はなかった。試合は4-1で敗れた。鳥栖で10年以上戦い続けていた豊田にとって、ダービーでの大敗は屈辱的だった。終盤、大きくリードされたところ、最後の交代カードはFWである自身ではなく、強化指定の若手ディフェンダーだった。
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