槙野智章はずっと「もったいない」男だった。最後の最後で伏線を回収した奇跡のフィナーレ (2ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

【小学生時代から"持っていた"】

 浦和レッズにきてようやくタイトルに恵まれるようになり、2018年には悲願のワールドカップに出場。しかし、大会直前にレギュラーの座を失い、本大会でピッチに立ったのは1試合のみにとどまった。

 プレー以外の言動も賛否両論だった。よかれと思ってやったことが裏目に出てしまう。SNSはしばしば炎上し、ACLでは試合後に相手選手に追いかけられるなんてこともあった。

 それでもこの男のすごいところは、いかなる挫折や困難も、明るく前向きに乗り越えていくところだろう。その素養は小学生の時からあった。

 広島県内でも有名なFWのいるチームとの試合でのこと。当時FWだった槙野は、監督にこう直談判した。

「俺があいつを止める。だからDFをやらせてください」

 しかし、DFなどほとんどやったことのなかった槙野は成す術なく、その選手に前半だけで4点を決められてしまった。さすがに落ち込んだ槙野は涙を流したという。しかし、後半に驚異の反発力を見せる。

「4点は俺の責任だから、後半取り返すって言って、FWに戻ったんです。それで僕が4点取って、引き分けに持ち込みました」

 広島ユース時代の恩師である森山佳郎監督(現U−17日本代表監督)も、槙野の切り替えの速さに舌を巻く。

「沈んでいる姿を何回か見たことがありますけど、長く引きづらないし、すぐ次の目標に向かって前向きになれる子でした。

 高校3年生の時のクラブユースで、周りからは優勝候補と言われていたけど、予選グループで負けて、みんな号泣していたんです。でも、夕飯の時にはすっかり明るくなっていたんで、こいつらはバカかと(笑)。その中心にいるのはだいたい槙野なんですけど、本当にバカがつくぐらいポジティブなヤツなんです」

 10年間在籍した浦和を、槙野は今季かぎりで契約満了となった。ケルン時代を除けば、広島でも浦和でも常にチームの中心として活躍してきただけに、契約満了の現実を突きつけられたショックは計り知れないだろう。

 涙を流した日もあったという。それでも槙野は気持ちを切り替え、やるべきことをやり続け、最後まで準備を怠らなかった。

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