三笘薫「オーラを出さないといけない」。フロンターレで自身の役割と考えていたこと
川崎フロンターレで、今年も目が離せない活躍をつづけている三笘薫。プロへの準備を積み重ねた大学時代、ブレイクした昨シーズン、そして今季と、それぞれどんな考え、心構えでプレーしてきたのか。さらに、来る東京五輪、A代表、将来へのビジョンを本人が語った。
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【大学では本当にいい経験ができた】
昨年大ブレイクし、プレーヤーとしてのスケールを大きく広げている三笘薫。
今年は川崎フロンターレでレギュラーになり、東京五輪を戦うU-24日本代表でも主力としての活躍に大きな期待が寄せられている。昨年の活躍にも「満足していない」と語り、向上心の塊のような貪欲さを見せる三笘は、冷静に自分が進む先を考え、イメージし、一度動き出すとブレずに突き進む「独自の世界観」を持つ選手でもある。
2年目の今季も、目が離せないプレーをしている三笘薫 その姿勢が最初に見えたのは、川崎のユースから筑波大学への進学を決めた時だろう。
三笘は、「よりレベルの高いところで」という思いから川崎フロンターレのU-10に加入し、ユースまで育成組織でプレーした。高校3年生になると「トップでも十分にやれる」と判断した当時のユースの今野章監督から、トップチーム昇格の打診を受けた。育成組織でプレーしてきた選手の目標は例外なくトップチームへの昇格であり、普通はその打診を喜んで受諾するだろう。
だが、三笘が出した答えは、否だった。
「もともと、トップチームに行けると思っていなかったですし、その時はまだプロのレベルに達していなかったので......」
三笘の決断の背景にあったのは、冷静に自分の実力を判断したのもあるが、1学年上の三好康児(現アントワープ)、板倉滉(現フローニンゲン)らユースから昇格した選手が試合に絡めず、苦戦する姿を見たことも大きい。
「厳しいなと思いましたね。僕は試合に出る重要性を知っていましたし、そのためには体づくりなどやるべきことがたくさんあった。将来、プロでプレーすることを考え、人間的な成長を促す意味でも大学に行く決断をしました」
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