小笠原満男にとっての3.11。「東北人魂」は変わらず。被災地からJリーガー誕生を願う (2ページ目)

  • 佐野美樹●取材・文・撮影 text & photo by Sano Miki

 岩手県出身の小笠原の母校がある大船渡市も、津波に飲み込まれた街のひとつだ。自身のサッカーの礎(いしずえ)を築いた大切な故郷の惨状に、いてもたってもいられず、小笠原は震災直後からひとりで被災地に支援物資を届け続けた。

 しかし、ひとりでやれることにも限界を感じ、サッカー選手だからこそできる支援をしていこうと、間もなく東北出身のJリーガーを募り、支援活動を行なうべく『東北人魂』という団体を発足させた。

 主に活動は、サッカーに限らず、子どもたちとボールを介して触れ合い、笑顔を取り戻してもらうことが一番の目的だった。

「仮設住宅での避難生活を余儀なくされた方が多かったですし、またその仮設住宅の建設地が小学校や中学校の校庭だったりしていたので、子どもたちが元気に走ったり、体を動かせているかどうかはすごく心配でした。スポーツ選手としては、体が動かせないことが苦痛であることは、誰よりもわかりますから」

 それから毎年、年始のオフや夏のJリーグの中断期間になると、参加できる選手たちで東北の被災地を点々と周り、子どもたちとボールで触れ合った。

 場所は被害を逃れた体育館や空き地などさまざまで、走り回るスペースがあればどこでもよかった。だが、やはりどうしても室内が多かった。そして、そのイベント後や合間に必ず、皆で現地の被災状況を見て回るのが決まりだった。

「いろいろ行きましたね。福島、宮城、岩手、そして秋田も。現地に行って、見て、話を聞いて。子どもたちに何が必要なのか、それをどうすれば実現できるのか。同じ東北でどうやったら助け合えるのか......。イベントの内容も含めて、選手同士でアイデアを出し合ったりしていました」

 そして、回数を重ねていくごとに、あるひとつの思いが強くなった。

「子どもたちが安心して走り回れるグラウンドを作ってあげたい」

 気持ちが揺るぎないものになると、小笠原はすぐにグラウンドプロジェクトを立ち上げ、グラウンド建設に向けて動いた。場所は、海沿いで東北地方でも比較的雪の少ない暖かい地域であることと、地元の小笠原の同級生や後輩が賛同してくれたこともあり、被災地でもある大船渡市にグラウンドを作ることに決めた。

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