Jリーグで勝利数の多い日本人監督の共通項。戦術優先ではなかった (4ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo
  • photo by Getty Images

 日本代表をワールドカップ初出場に導いた岡田武史(J1通算62勝/J2通算48勝)は、J2とJ1の両リーグで優勝を経験した唯一の監督だが、現役時代は頭脳的な(かなりずる賢い)DFだった。そして、監督としても論理的な思考に基づいて戦術的なチームをつくり上げて、細部にもこだわりつづけた。だが、岡田は次第にきわめて思い切った采配を繰り出すことのできる監督となっていった。

 世界的にも、たとえばバルセロナでプレーし、ワールドクラスのボランチだったペップ・グアルディオラ(現マンスチェスター・シティ監督)は、戦術的な戦いを好んでいる。同じサッカー選手であっても、ポジションによって性格も変わるし、監督になっても現役時代のプレーを思わせるような采配を振るう指導者は多い。

 ただし、現役時代はFWだったのに戦術的な細部にこだわる指導者も存在する。

 相手の弱点を突く戦術を駆使し、セットプレーを巧みに利用して湘南ベルマーレや松本山雅FCをJ1に昇格させた反町康治(J1通算37勝/J2通算239勝)も、現役時代にはアタッカーだった。

 もっとも、反町はアタッカーと言ってもきわめて頭脳的なプレーをしていた選手だった。その点では、現役時代のプレーぶりとはまったく違うタイプの監督となったのが、高木琢也(J1通算11勝/J2通算199勝)だ。

 現役時代の高木は広島のセンターFWで、サイズのあるターゲットマンとしてオフト監督に重用された。けっして戦術的な動きをする選手ではなかったのだが、監督としてはすべての選手のポジションに目を配る、実に細かな指導をするようになった。広島時代に一緒に戦った経験のある森保監督が、「高木監督があんな細かい指導者になるとは思ってもいなかった」と漏らしたことがあるくらいである。

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