オシムと出会って人生が変わった。坂本將貴が大切にする2つの助言 (2ページ目)

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi
  • photo by 新井賢一/AFLO

 それこそ、オシムから植えつけられたものだった。

「オシムさんからは野心を持つことの重要性をすごく説かれましたね。『サカはアメリカ産の車に乗っているようだけど、そんなことで満足するな。選手としてもっと前進しろ』とよく言われていました。『村井(慎二)を見ろ。自転車で通っているけど、一番いいプレーをしているぞ』って(笑)」

 オシムが日本代表監督に就任した翌年の2007年、坂本はさらなる成長を求めてアルビレックス新潟に移籍し、レギュラーとして34試合フル出場を果たした。だが、不調に陥った古巣に貢献すべく1年でジェフに復帰し、2012年シーズン限りでスパイクを脱いだ。

 引退するにあたって、坂本はオシムに連絡を入れた。現役を辞めるのが今でいいのか。辞めたらどんな道に進めばいいのか......。相談したいことはたくさんあったが、一方で、オシムが答えを明示しないこともわかっていた。いつだって、それがオシムのスタンスだったからだ。

 脳裏に浮かんだのは、5年前のやり取りだった。

 アルビレックスに移籍した2007年のシーズンオフ、坂本は恩師の見舞いに訪れた。オシムは2007年11月に脳梗塞で倒れ、日本代表監督を退任していた。

 その頃、坂本自身も岐路を迎えていた。

 アルビレックスに残留するか、ジェフに復帰するか――。

 やはりこの時も、オシムは坂本に「どちらにすべきだ」という答えは示さなかった。

 オシムが坂本に伝えたのは、この2つ。

「勇気がなければ、幸運は訪れないぞ」
「悩んだら、自分にとって苦しい道を選べ」

 坂本にとっては、それだけ十分だった。

「その時、やり甲斐を感じられたのがジェフに復帰することだったので、その道を選びました。2012年に引退するか迷って連絡した時にも、『自分にとっていいと思うほうを選べ』と言われたので、あらためて自分が何をしたいのかを考えて、『ジェフをもっとよくしたい。それなら指導者だな』と。オシムさんに出会って、指導者っていいもんだな、と感じるようになっていたので」

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