日本のゴミ分別に苦しんだブラジル代表FW。柏でカレッカとコンビ
年末の大掃除シーズン。1年の汚れを綺麗に落とす作業と同じくらい大変なのが、大掃除によって生み出され種類ごとに分別された、それぞれのゴミ出しだ。うっかり収集日を勘違いしてしまうと、新年までゴミを持ち越すハメになることも......。
来日からわずか2カ月で退団を申し出たブラジル代表FW このゴミの分別収集、日本で最初に取り組んだのは1976年の静岡県沼津市。ゴミ処分地の使用をめぐる市と住民の対立解消の一環として分別収集が始まった。当時は「燃えるゴミ」「埋め立てゴミ」「資源ゴミ」の3つに分類されたそうだ。
そこから月日は流れ、1990年代になると世界の目は環境問題へと向かっていく。日本でもリサイクルやゴミによる環境汚染などへの意識が高まっていき、1990年代半ばからゴミ分別収集は全国に拡がっていった。
今では分別収集は当たり前となり、ゴミの分類区分も可燃・不燃・資源にとどまらず、さらに細分化されている。だが、日本人にとっても新しいゴミ出しのスタイルがハードルの低くなかった1995年、ゴミ分別の重荷に耐えられずに、わずか3カ月でJリーグを去った外国人選手がいた。
それがミューレル。1966年1月31日生まれの、本名はルイス・アントニオ・コレイア・ダ・コスタ。20歳だった1986年メキシコ大会にブラジル代表として初出場すると、1990年イタリア大会、1994年アメリカ大会と3大会連続でW杯に出場した。
1992年のトヨタカップには、サンパウロの一員として来日。バルセロナを相手に左サイドでボールを受けると、フェイントでDFをかわして低く速いクロスを送り、ライーのゴールをアシストした。
持ち味は、一瞬のスピードで抜き去る高速ドリブルとワンタッチゴール。そして、ウイングとしての突破力と精度の高いパスも評価されていた。
そのミューレルが、W杯アメリカ大会でブラジルに通算4度目のジュール・リメ杯をもたらした翌1995年、この年からJリーグに昇格した柏レイソルに2年契約で加入した。年齢は29歳。しかも、柏には1993年から元ブラジル代表のカレッカが在籍していたこともあり、元セレソンの2トップに大きな注目が集まった。
1 / 2