大島僚太、進化の1年。3度の優勝で芽生えた日本代表返り咲きへの思い (4ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

 そうした若手の台頭がもたらしたのが、チーム内での競争だ。その激しさを物語る出来事が、一度目の10連勝を達成した時期にあったという。

「連戦で選手を入れ替えながら戦ったんですが、最初に10連勝した時は、先発の組み合わせがけっこう同じだったんですよね。だから、一緒に試合に出る選手たちの間では、自分たちがスタメンの時に負けてたまるか、という結束感みたいなものが生まれていました。

 正直、ピリついていたところもあったと思います。さすがに自分たちが出てない時に負けろとは思わないですけど、お互いに結果を出して、プレッシャーを与え合う。同じチームなのに、変な関係ではありましたね(笑)」

 そんなチームをまとめた鬼木達監督の存在も忘れてはならない。新型コロナの影響で中断したリーグ再開前のエピソードを、大島は明かしてくれた。

「自粛生活明けで選手が集まった時に、監督から『まずは絶対に感染しないようにやっていこう』という話がありました。そして、自分たちがプレーできるのは、医療従事者の方だったり、たくさんの関係者の尽力があるということを忘れてはいけないと。

 大変な状況のなか、自分たちが勇気づけられるようなプレーを見せて、絶対にタイトルを取らなければいけない。そう熱く話された時に、本気でタイトルを取りに行く想いがあらためて芽生えましたし、チームの心がひとつになった瞬間でしたね」

 絶対に感染しないという指揮官の覚悟は、見た目の変化からも伝わってきたという。

「監督の髪の毛がどんどん伸びていくんですよ。全然、切りに行かないので。選手たちに強制はしなかったですけど、監督は感染のリスクをできるだけ排除しようと必死だったと思います。自身の言葉に責任持って行動されている姿を見て、あらためてついて行きたいと思わせてくれました」

 激しいチーム内競争と、鬼木監督が示した男気。コロナ禍における異例のシーズンで、川崎は史上最強と呼ばれるチームにまで上り詰めたのだ。

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