元祖イケメンJ助っ人。引退後にフィギュア選手に転身した「王子」とは? (3ページ目)

  • 津金壱郎●文 text by Tsugane Ichiro
  • photo by AFLO

 リハビリを経て約2カ月後の5月下旬に日本に戻ったイルハンは、6月中旬の試合復帰を目指して調整を続け、6月12日の横浜F・マリノス戦で17分間プレー。だが、この試合で右ひざを再度悪化させてチームから離脱すると、6月20日には家庭の事情を理由にクラブの許可を得ることなくドイツへ無断帰国。それっきり、Jリーグに戻ることはなかった。

「イルハンには、せめて10試合くらいやってほしかったが......」

 これは2007年2月25日付の神戸新聞に掲載されたインタビュー記事で、ヴィッセル神戸会長の三木谷浩史氏が当時を振り返った言葉。その言外からは、W杯後に右ひざを3度出術していたのを承知で客寄せパンダ的に獲得したイルハンが、Jリーグ3試合に出場してプレー時間196分で無得点に終わったのは想定外という思いがにじんでいるように感じられた。

 家庭の事情で無断帰国してヴィッセル神戸から契約解除されたイルハンの動向を、2004年8月27日付の各スポーツ紙が伝えている。それらによれば、日本からの国際電話代が月十数万円に達する努力は報われず、約2年間連れ添ったニーナさんとの離婚が決定。長女アイミー(当時1歳)の親権も母親に譲渡されたという。

 26歳でトルコ代表にデビューした遅咲きは、27歳だった2002年W杯で一躍スターダムに上り詰めたものの、わずか2年で人生のどん底に転落。イルハンのその後はというと......。

 右ひざの状態はあいかわらず悪いままだったが、「W杯日韓大会のプレーがすごかった」とファルコ・ゲッツ監督(当時)が高く評価したドイツ・ブンデスリーガのヘルタ・ベルリンと2005年1月に2006年夏まで契約。しかし、「2004-05シーズン中に復帰できなかったら解雇」の条項をクリアできず、2005年6月でヘルタを退団となる。

 さらに翌月、トルコのMKEアンカラギュジュに入団するも、2006年1月に退団。リハビリを続けながら移籍先を探したが結局見つからず、2006年8月に現役引退を表明した。

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