「監督3年周期説」の信憑性を探る。長期政権のあとの監督はついらいよ... (3ページ目)

  • 浅田真樹●文 text by Asada Masaki
  • photo by AFLO

 同じことは、磐田にも言える。

 磐田は、2014年途中から監督についた名波浩が、2019年途中までの足掛け6年に渡ってチームを率いた。

 その間、名波はJ2で苦しむチームをJ1復帰へと導き、J1の2シーズン目となった2017年には6位まで躍進させた。

 だが、2018年になると、順位は16位へと急降下。2019年も下位低迷が続くと、名波はシーズン途中で監督の座から退いた。

 その後を引き継いだ鈴木秀人も、わずか5試合で指揮権をフェルナンド・フベロへ譲渡。J2降格となった今季もまた、1年でのJ1復帰が期待されたながら成績は振るわず、シーズン途中にしてフベロとの契約解除に至ったのである。

 長期政権後の舵取りの難しさは、今季だけのことではない。

 例えば、2002年から2011年までの10年に渡り、西野朗が監督を務めたガンバ大阪。

 西野の下、2005年にJ1初優勝、2008、2009年には天皇杯連覇を果たすなど、一時代を築いたにもかかわらず、G大阪がクラブ史上初のJ2降格となったのは、西野が監督を退いた直後の2012年のことだった。

 その他にも、手倉森誠(2008年~2013年)が監督を務めたあとのベガルタ仙台、最初にネルシーニョ(2009年途中~2014年)が監督を務めたあとの柏レイソルなど、同様の前例は少なくない。

 その一方で、長期政権後のチームを引き継いだ監督が、さらに強化した例もないわけではない。

 ミハイロ・ペトロヴィッチが足掛け6年(2006年途中~2011年)率いたサンフレッチェ広島は、あとを受けた森保一の下、監督就任1年目からJ1連覇を果たし、計3回のJ1優勝を成し遂げた。

 また、風間八宏が足掛け5年(2012年途中~2016年)率いた川崎フロンターレでも、あとを引き継いだ鬼木達が、同じく監督就任1年目からJ1連覇を果たし、今季も3回目の優勝をほぼ確実にしている。

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