「サッカー界の田澤」に見る、
田澤ルール撤廃の必然性
いわゆる"田澤ルール"が撤廃されることになった。
2008年秋、NPBのドラフト1位指名候補だった田澤純一(新日本石油ENEOS)が、MLBのボストン・レッドソックスと契約を結んだことに端を発する田澤ルールとは、すなわち、ドラフト指名を拒否して海外球団と契約した場合、その後日本に戻っても一定期間(高卒は3年、大卒・社会人出身は2年)、日本の球団とは契約できないという、NPB12球団による申し合わせ事項だ。
日本のプロ野球側に立てば、人材のアメリカ流出を防ぐという意図もあり、全面的に否定されるものではないとしても、自分たちの思いどおりに動かなかった選手のプレー機会を奪ってしまうルールは、やはりいただけない。
ファンもまた、単純にレベルの高い選手のプレーを見たいと思うはずであり、おかしなルールの撤廃は当然の結果だったのだろう。
さて、海外スポーツを日本でも当たり前に見ることができる現在、選手の視線がよりレベルの高い舞台に向かうのは、当たり前の流れである。野球であればアメリカへ、サッカーであればヨーロッパへ、というわけだ。
振り返ってみると、過去にはサッカーにも田澤のようなケースがあった。つまり、Jクラブが欲しがる高卒や大卒の選手が、いきなりヨーロッパのクラブと契約してしまうケースである。
たとえば、現在、鹿島アントラーズでプレーするFW伊藤翔。
伊藤は中京大中京高時代、高校2年生にしてU-18日本代表に選ばれるなど、早くから注目される選手だった。加えて当時、イングランド・プレミアリーグの強豪、アーセナルの練習に参加した際、アーセン・ベンゲル監督(当時)から高い評価を受けたことで、伊藤の名は「和製アンリ」の異名とともに、さらに広く知られるようになっていた。
今も昔もJリーグにドラフトはないが、たとえて言うなら、当時の伊藤は"ドラ1候補"。それも、その年の目玉とも言うべき有力選手だった。
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