「サッカー界の田澤」に見る、
田澤ルール撤廃の必然性 (3ページ目)
最近では、高校や大学を卒業(あるいは、休学や中退)したあと、Jリーグ入りは叶わなかったものの、プロへの夢は断ち切り難く、海外に活路を求める選手は珍しくない。
一般的に「海外組」と言えば、ヨーロッパの限られた国の、しかも、上位リーグのクラブに所属する選手を指すが、人知れずサッカーでのマイナー国や、主要国であっても下位リーグでプレーしている「海外組」は、相当数いるはずだ。
実際、ペルーのクラブで活躍したあと、柏レイソル入りしたMF澤昌克や、ルーマニアのクラブでUEFAヨーロッパリーグに出場するなどした後、ヴァンフォーレ甲府入りしたMF瀬戸貴幸のような選手もいる(いずれも現在は、再び海外でプレー)。
彼らの歩みは、野球以上に世界的な裾野が広いサッカーならではの成功例と言えるだろう。
とはいえ、澤や瀬戸は"ドラ1候補"ではなかった。引く手数多のなか、海を渡ったわけではない。その意味において、大卒選手で即戦力候補の長澤がJリーグに与えた衝撃は、過去に例がないほど大きかった。各クラブは相当な危機感を覚えたはずだ。
それでも、長澤はその後、Jリーグでのプレー機会を奪われることなく、日本に戻っている。
ケルン入りした長澤はクラブの1部昇格に貢献するものの、ヒザのケガなどもあって帰国し、2016年に浦和と契約。期限付き移籍により、最初の1シーズンをJ2のジェフユナイテッド千葉でプレーしたあと、2017年、浦和でAFCチャンピオンズリーグ制覇を成し遂げた。長澤自身も同年11月、日本代表デビューを果たしている。
2017年は長澤がJリーグでプレーして2年目のシーズン。サッカーの世界に田澤ルールがあれば、目にすることのできなかった活躍である。
その他にも、現在ドイツ・ブンデスリーガ2部のザンクトパウリでプレーするFW宮市亮が、この例に当たる。
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