内田篤人の知られざる現役生活後半。復帰戦前、記者に直談判した理由
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8月20日、内田篤人(鹿島アントラーズ)が現役引退を発表した。23日にホームで行なわれるガンバ大阪戦がラストマッチになるという。
2018年に鹿島に復帰してからも、コンスタントに長い時間、試合に出場することはなかった。完全復活を遂げる日が来るのではないかという期待は常にあったが、ついに内田は決断した。自分自身のプレーや長年苦しめられてきた膝の状態を考えたうえで、このタイミングになったのだろう。
2010年夏、ドイツの強豪シャルケの一員となった内田は、あっという間に右サイドバックのレギュラーポジションを獲得、チームの主力となった。カップ戦優勝やチャンピオンズリーグ準決勝出場など、日本人選手がなかなか到達できない世界へ、いとも簡単に上り詰めた。
2010年、ブンデスリーガのシャルケに移籍した内田篤人 内田がそんな立ち位置を獲得してきたのは、プレーの質もさることながら、気持ちの強さがあってこそ、だったと筆者は思っている。そしてその気持ちの強さは、シャルケと日本代表で活躍し、人気を獲得していった過程よりむしろ、2014年に大ケガを負ってから以降の日々に強く感じるのだった。
内田は15年夏に手術を行ない、以後は長く断続的に、ケガとの戦いに苦しむことになる。苦しみながらも、モチベーションが湧く状況を自ら作ろうとする。そんな姿勢がうかがえた。
16年12月のことだった。15年夏の手術から1年半近くを経て、ようやく復帰の目処がたち、出場機会が与えられることになった。
試合はヨーロッパリーグの1次リーグ第6節、アウェーでのザルツブルク戦。順位争いに関係ない、いわゆる消化試合だった。監督からは試合の2日前にメンバー入りを告げられた。その日、筆者はたまたま取材に訪れていた。練習後、内田が筆者ともうひとりのライター、カメラマンの合計3人を、シャルケの練習場からデュッセルドルフまで車で送ってくれることになった。
内田は運転をしながら、「どうせだったらホームで復帰したかったな」「まあ、ご褒美みたいなものだよね」「でも、実際ピッチに立ったら泣いちゃうかな? どのタイミングで泣くのがかっこいい?」などと試合に思いを馳せていた。
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