2020.07.29

たった6試合で帰国したルイゾンの
言い分。「まっちゃん、元気かな」

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

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 2005年、当時名古屋グランパスの監督を務めていたネルシーニョ(現・柏レイソル監督)の誘いで日本に来たルイゾン。8月半ばのヴィッセル神戸戦でデビュー、11番をつけてプレーした。徐々にチームに馴染んでいき、9月に入ると横浜F・マリノス戦、続いて柏レイソル戦で連続得点をマークした。

名古屋グランパスで6試合に出場したルイゾンphoto by Nagahama Takamaro ところが、ここでまた予期せぬことが起こる。日本に呼んだネルシーニョが、成績不振を理由に解任されてしまったのだ。

 結局、ルイゾンも6試合でプレーしただけで、ブラジルに帰ってしまった。ネルシーニョの後を追うようにサントスへ移籍した。

 実際に何があったのか、私は知りたかった。そこで久しぶりにルイゾンに電話をした。彼とは2002年W杯で友人となり、優勝した帰りの飛行機では一緒に酒を飲んだ仲である。ルイゾンは12時間酒を飲みっぱなしで、アメリカでトランジットする時はほとんど意識がなかったのを覚えている。

 電話の向こうのルイゾンは、今日も酒を飲んでいるようであり、相変わらずの絶好調で当時の話をしてくれた。

「俺がグランパスから出て行った理由は、いくつかの要因が重なったからだ。でも、一番はネルシーニョがいなくなったことかな。その後に監督になった人物は、もう名前も覚えちゃいないが、何もわかっていなかった。俺は2試合で4ゴール決めてたっていうのに、彼が言った言葉がなんだと思う? 『もっとがんばりなさい。もっと練習しなさい』だぜ」

 どうやら後任の中田仁司監督と、彼はうまく意思の疎通ができていなかったようだ。

「俺が頑張ってなかったとでもいうのか? 黄色いチーム、そうレイソルだ。あの試合では俺のすべてのキャリアの中でも最高の部類に入るパフォーマンスをしたと思う。俺のゴールはテレビでベストゴールにも選ばれたはずだ。それなのに、何を考えてるんだと思ったね」

 もうひとつの原因はピッチの外にあった。

「当時うちには2歳半と生後10カ月の小さな子供がいた。長年働いてくれていたベビーシッターとハウスキーパーの2人の女性を日本に連れていきたかったから、俺はチームにビザを出してくれと頼んだんだ。彼女らの旅費も、給料も俺持ちでいい。だから日本にいられるようにしてくれとね。