【THIS IS MY CLUB】25年以上フロンターレと歩むGMが思う「忘れてはいけないこと」 (4ページ目)
――たまたまというのが、またすごいですね。
「たしか対戦相手に獲得を検討していた選手がいて、その選手のプレーを見に行ったんです。でも、筑波大学がやっていたサッカーのインパクトがあまりにも強くて。自分の中で考えていた攻撃的サッカーは、こういうことではないかと、答えが見つかったような気がしたんです。それで声を掛けさせてもらったんです」
――00年にJ2降格を経験した際、チームづくりに関して、「じっくり」というコンセプトを思ったように、覚悟を持って託したところもあったのでしょうか?
「改めて、その時にも思いましたね。風間監督が就任して2年目の13年、開幕から6試合勝てなかったんです。周りからもかなりプレッシャーは掛かりましたけど、やろうとしているサッカーが浸透するには、時間が掛かるのはわかっていたので、ここは我慢だな、耐える時だなと。でも、あの時は結構、しんどかったですね」
――監督を変える決断もできたところで、支えることを選んだからこそ、今のフロンターレがあるように思います。
「可能性はすごく感じていたんです。勝てずとも内容はずっと悪くなかった。私だけでなく、クラブもそうですし、何よりサポーターも我慢してくれた。もともと、常にチームの後押しをしてくれるサポーターですが、あの時は本当に我慢してくれたと思っているんです。それが最終的には、今に結びついているのかもしれません」
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