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エメルソンはサルを連れて練習に。
横浜で完結した壮絶サッカー人生 (2ページ目)

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

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 その後、彼はカタールの国籍を取得し、カタール代表として南アフリカW杯の予選を戦った。しかしこれがまた問題になった。一度どこかの代表でプレーしたことのある選手は、国籍を変えても他の代表チームではプレーできない。これがFIFAのルールである。エメルソンはブラジル代表ではプレーしていないものの、U-20ブラジル代表としてプレーしたことがあった。本来、A代表でなければ問題ないはずなのだが、彼はその時、例の偽の出生証明書で年齢を偽っていた。つまり、その時彼はすでに20歳を超えていたのだ。FIFAは彼がカタール代表に入ることを認めなかった。

 こうして彼は永遠に代表チームでプレーすることができなくなってしまった。カタールでも、そしてブラジルでも。

 それからカタールで1年半ほどプレーすると、名声と大金を持ったエメルソンは国に帰ることを決めた。

「日本の2つのチームからもかなりいいオファーがあった。それを断るのは心が痛んだが、そろそろ家に帰りたくなったんだ。母親の近くにいてやりたかったし、ブラジルのサッカーを、もっと知りたいと思うようになったんだ」

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