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Jリーグで育ったブラジル代表。
フッキが日本で最も悩まされたことは?

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

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あのブラジル人Jリーガーはいま
第4回フッキ(前編)>>後編を読む

 Jリーグで育ったブラジル人選手の中で、その後、最も有名になったひとりがフッキではないだろうか。

 フッキが日本に渡ったのは18歳の時。川崎フロンターレで背番号19、コンサドーレ札幌で背番号10、そして東京ヴェルディではついに憧れのハルクと同じ緑色のユニホームの9番をつけた。

 その後は世界へと飛び立ち、ブラジル代表の中心選手にまでなっていった。ただ、彼の"有名"は決していい意味だけではない。これまで多くの非難の的にもなってきた。フッキほど評価が分かれる選手も少ないのではないだろうか。

東京ヴェルディでJ2得点王となったフッキ photo by Yamazoe Toshio東京ヴェルディでJ2得点王となったフッキ photo by Yamazoe Toshio 2013年のコンフェデレーションズカップの日本対ブラジル戦の前に、フッキのことを岡崎慎司(現ウエスカ)はこう言っている。

「フッキは僕の憧れで、対戦することで彼から多くのことを学んだ。日本でプレーしたブラジル人選手の中でもトップレベルのひとりだと思う。僕だけではなく、多くの若い日本人選手が、フッキの勇気とパワー、闘志に惹かれたはずだ」

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