ブラジルと日本の代表選手が融合。96年の横浜フリューゲルスはすごかった

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo
  • 高橋 学●撮影 photo by Takahashi Manabu

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第1回:1996年の横浜フリューゲルス

 1993年にスタートしたJリーグは、当初ガリー・リネカー(イングランド)やピエール・リトバルスキー(ドイツ)、ラモン・ディアス(アルゼンチン)といったビッグネームが数多くプレーしていた。

ブラジルトリオが力を発揮し、バランスの取れた攻撃サッカーを見せた、1996年の横浜フリューゲルスブラジルトリオが力を発揮し、バランスの取れた攻撃サッカーを見せた、1996年の横浜フリューゲルス もちろん、ブラジル人選手も例外ではない。ブラジルは1994年のワールドカップアメリカ大会で24年ぶりの優勝を飾ったが、優勝メンバーの多くがJリーグでプレーすることになった。欧州サッカー界が放映権料で潤って、移籍金や年俸が高騰する前の90年代には、ブラジルのスターたちは移籍先としてJリーグのクラブを選んだのだ。

 横浜フリューゲルスで活躍したジーニョは94年のワールドカップ優勝メンバーで、96年には29歳とキャリアのピークを迎えていた。テンポの速さが大きな魅力で、トップ下の位置から繰り出すジーニョの鋭いショートパスは、相手の守備を何度も切り裂いた。

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