誰もが認めた野洲高の天才は「『SLAM DUNK』の仙道タイプ」だった (4ページ目)

  • 鈴木智之●取材・文 text by Suzuki Tomoyuki
  • 高橋 学●撮影 photo by Takahashi Manabu

 もっとも平原にとって、初めてとなる選手権の舞台は「いつもよりやりにくかった」のだという。

「スパイクがね、それまで使っていた、アシックスのDSライトではないものを履いていたんです。最初はナイキを履いて、やりづらくて、選手権ではアディダスを履いたんですけど、それも足に合わなくて。まあ、自分で決めたことなので、仕方がないんですけど(笑)」

 履いていたスパイクを変えたのは、ゲン担ぎのためだった。平原たちの学年は、高校3年生の選手権まで、全国大会に出たことがなかった。

 平原や楠神、青木やキャプテンの金本竜市は、中学時代、滋賀県のセゾンFCでともにプレーした仲間である。当時は別々の進路を描きながらも、中学3年生の最後の大会で、京都サンガF.C.U-15に悔しい負けをしたことで「みんなで野洲高に行って、日本一を取ろう」と決めた。

 しかし、高3のインターハイ予選が終わった段階で、一度も滋賀県予選を突破できず、残された大会は選手権だけとなっていた。

 中高の6年間を通じてつくり上げたサッカーには自信があった。しかし、公式戦になると勝てない。選手権に出られなかったチームが正月に集う"裏選手権"と呼ばれる大会や、強豪校が主催するフェスティバルでは、並み居る名門を倒していたにもかかわらず、である。

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