オシムに心酔していた阿部勇樹。自らの移籍についても「相談した」 (4ページ目)
名実ともに、日本を代表するボランチに成長した阿部のもとには、国内外のチームからオファーが届くようになった。そんな折、阿部はオシムに、移籍について相談をしに行ったという。
「2005年シーズンの終わりに(オシムに)相談しに行きました。オシムさんからは『日本にもいいチームはある』と言われたけど、『ウチでやれ』とは言われなかったです。最終的に、自分でジェフに残ることを決めました。
オシムさんと一緒にやれれば、まだ成長できると思っていたし、自分の中で、オシムさんがすごく大きな存在になっていた。また(オシムと)たくさん握手できるように『がんばろう』って思っていましたね」
2006年シーズン、ドイツW杯開催による中断前までは、チームも順調だった。12節終了時点で、5勝5分け2敗という戦績で5位につけていた。だが、リーグ再開を前にして、チームに激震が走った――。
きっかけは、ドイツW杯だった。ドイツW杯に臨んだ日本代表は、中田英寿をはじめ、柳沢敦や中村俊輔、さらには小野伸二や高原直泰ら「黄金世代」がメンバーに名を連ね、「史上最強」と謳われた。しかし、大会前の異常な盛り上がりに反して、チームは1勝もできずにグループリーグ敗退。期待が大きく膨らんでいただけに、その無様な結果によって、日本サッカー界に暗雲が立ち込めていた。
そんな重い空気を一掃すべく、サッカー協会が白羽の矢を立てたのが、オシムだった。2006年7月、ジェフを率いていたオシムの日本代表監督就任が発表された。
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