阿部勇樹、恩師を語る「オシムさんがいなかったら、今の僕はいなかった」 (5ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

 オフがなくなったのは衝撃的だったが、練習もまた、独特のもので、戸惑う選手が多かった。ビブスのカラーを数種類使用した練習では、カラーによって、パスの順番やどこに動くのか決められ、頭を使うことを常に要求された。また、大学チームとの練習試合などでは、8対11とか、9対11とか、相手よりも少ない人数でプレーすることがあり、かなりの運動量が求められた。

 オシムが掲げていたスローガン「考えて、走るサッカー」を実践するため、選手は日々メニューが異なる練習をこなし、そこで、ひたすら走り、頭をフル回転させ、クタクタになって家に帰った。

「最初は、あまりにも練習がキツくて、『なんなんだ』って思っていたけど、人間って、慣れていくんですよ。次第にハードな練習もこなせるようになり、その練習したことを、試合の中で出せるようになっていく。すると、結果が出るようになり、みんな、自信を持ってプレーできるようになったんです」

オシムの指導のもと、阿部も、チームも変わっていった。photo by Kyodo Newsオシムの指導のもと、阿部も、チームも変わっていった。photo by Kyodo News 阿部は「練習が本当に充実していた」と言う。

「オシムさんのトレーニングには、すべてが詰まっていたと思います。次の対戦相手を想定した練習を集中的にやって、さらにジェフがどういうサッカーをしていくのか、というのを反復練習で徹底した。

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