2020.01.06

帝京長岡がサッカー後進県の名を返上。
新潟県民の悔しい思いを力にする

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • 高橋 学●撮影 photo by Takahashi Manabu

 かつて、新潟県の高校サッカーを引っ張っていたのは、新潟市内の高校だった。新潟工業をはじめ、新潟西、東京学館新潟、新潟明訓、北越、高志、さらには一昨年度の選手権で初出場ながらベスト8進出を果たした日本文理や、開志JSCといった新興勢力も台頭してきている。

 そんな新潟市優勢の勢力図を大きく塗り替えたのが、長岡市にある帝京長岡だった。

 帝京長岡は、第79回大会で選手権初出場。第84回大会には2度目の出場を果たすが、いずれも初戦敗退。高校年代を強化するためには、中学年代での選手育成が不可欠であるとの考えから、当時、帝京長岡を率いていた谷口哲朗監督(現・総監督)らが中心となり、長岡ジュニアユースFC(以下、JYFC)を設立。最近8年間の選手権で、帝京長岡がベスト8以上の成績を3度も残しているのは、地道な強化が実を結んだ成果である。

 仙台育英戦の先発メンバーのうち、JYFC出身は6人。そのひとりである、MF本田翔英が語る。

「JYFCでは、相手を外すトラップやワンタッチパス、パスワークのリズムなどを重視している。そのスタイルが、帝京長岡のサッカーに合っているので、(選手同士の)意思の疎通がしやすい」

 とはいえ、DF吉田晴稀は、「(新潟県勢初のベスト4進出を成し遂げた)実感はあるが、目標はここではない」ときっぱり。キャプテンの谷内田も、「目標は日本一」と言い切る。

 98回目にして、ようやくたどり着いた未踏の地。だが、現在の帝京長岡の選手たちにとって、新潟がサッカー後進県だった時代は、彼らの記憶にはない、はるか昔の話である。

 FW矢尾板岳斗は、35年前に新潟県勢が初めてベスト8に進出したときのことなど、「たぶん新潟工業だと思うんですけど......」という程度にしか知らないながらも、「自分たちも(新潟の)プライドを持ってやっているので、新潟県代表として(初の)ベスト4はうれしい」と笑顔。それでも、「青森山田に勝つためのトレーニングをやってきた」と、あくまでも"その先"を見据える。