2020.01.06

帝京長岡がサッカー後進県の名を返上。
新潟県民の悔しい思いを力にする

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • 高橋 学●撮影 photo by Takahashi Manabu

 初の準々決勝進出を果たしたのは、当時7年連続7回目の出場だった新潟工業。県内では無敵を誇る強豪校も、全国大会の壁は厚く、それまでに出場した6大会のうち、初戦を突破できたのは2回だけ。その2回にしても2戦目で敗退していた。7回目の挑戦にしてようやくたどり着いたベスト8は、のちにJリーグで活躍し、日本代表にも選出されたFW神田勝夫(現アルビレックス新潟・強化部長)を擁しての悲願成就だった。

 お世辞にもサッカー強豪県とは言えなかった新潟県で、それがいかに一大事だったかは、大会後、地元テレビ局で初のベスト8進出を祝う特別番組が放送されたことでもわかる。まさに、県を挙げての歓喜のときだったわけだ。

 だが、初の快挙達成は同時に、長く厳しい歴史の始まりでもあった。

 その後、日本では1993年のJリーグ誕生をきっかけに、サッカーが全国へ広く深く普及し、すそ野が大きく拡大。選手権でも、一部の強豪県の代表だけが勝ち上がる時代は終わり、群雄割拠の時代へと移り変わった。

 しかし、新潟県勢は、と言えば、そんな時代の流れに乗り遅れていた。雪国・新潟と似た環境にある東北勢(青森山田、盛岡商業)や、北陸勢(富山第一、星稜)が全国制覇を成し遂げるなか、優勝はおろか、準々決勝の壁を破ることもできなかった。

 いや、それ以前に、昭和の時代の新潟工業以来、27年もの間、準々決勝へ駒を進めることさえできなかったのだから、後進県のレッテルを貼られても仕方がなかった。

 そんな新潟県にあって、新潟工業以来、28年ぶりに選手権の準々決勝へ進出したのが、第91回大会の帝京長岡だった。

 稀代のプレーメイカー、MF小塚和季(現・大分トリニータ所属)を擁する帝京長岡は、準々決勝で京都橘に1-2で敗れはしたが、テクニック重視のスタイルは大きなインパクトを残した。

 そして帝京長岡は、昨年度の第97回大会でも再びベスト8へ進出。尚志に0-1で敗れ、またしてもベスト4には届かなかったが、当時の先発メンバーのうち6人が残った今大会こそは、ベスト8の壁を破れるのではないか。そんな期待が高まるなか、この準々決勝は満を持しての3度目の挑戦だったのである。