14年前のセクシーフットボール。
野洲高校が日本一になるまでの長い物語 (4ページ目)
野洲高を卒業してから14年近く経つが、今でも当時のチームメイトと集まっているという。キャプテンの金本が音頭をとって始めたのだが、会を重ねるごとに規模が大きくなり、現在は野洲の同級生だけでなく、守山北や比叡山高校の元サッカー部、国体のチームメイトなどが集まり、大規模な同窓会のようになっている。
"野洲同窓会"に参加するメンバーは、つかの間、高校時代にタイムスリップするようだ。金本は言う。
「今はみんなで写真を撮るじゃないですか。そうすると、野洲の優勝メンバーの写真をインスタに上げて、『わかる人にはわかる、このメンバーのすごさ』みたいに書いてくれる人もいて(笑)。全国優勝したからというのもあると思うんですけど、僕もそうですし、みんなの中にも、よい思い出として残っているのはうれしいですね」
野洲の優勝は、決して高校3年間だけで成し遂げたものではない。滋賀県のセゾンFCで小学校1年生の金本と平原が出会うところから始まり、1学年下には乾貴士がいた。中学生になると、セゾンFCのジュニアユースに楠神順平と青木孝太が加わり、新たなエッセンスが注入された。
高校から田中雄大や荒堀謙次という、後のJリーガーが入学。山本監督の、選手の個性を伸ばす指導を受けたタレントが「相手の逆をとる」「全員で同じイメージでプレーをする」という考えのもと、試合をこなすごとにコンビネーションが熟成されていった。
山本監督が掲げた「高校サッカーを変える」という強烈なキャッチフレーズを体現し、日本の育成年代に大きな影響を与えた野洲高校の優勝。金本たちが出会った小学1年生時から始まった一大ストーリーの結末としては、これ以上ないものだった。
だからこそ、金本には歯がゆさを感じていることがある。それは、野洲高校がここ数年、滋賀県予選で敗退し、全国高校サッカー選手権に出ていないことだ。
高校を卒業して10年が経った、4年前のある日。金本は恩師である山本に連絡し、単刀直入に切り出した。
「なんで、最近の野洲は勝てていないんですか?」
(つづく)
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