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14年前のセクシーフットボール。
野洲高校が日本一になるまでの長い物語 (2ページ目)

  • 鈴木智之●取材・文 text by Suzuki Tomoyuki
  • 高橋 学●撮影 photo by Takahashi Manabu

 そんな乾も、1学年上のキャプテンにかかると「ほんまにメンタルが弱くて、何度注意したかわかりません」となる。

「タカシ(乾)はメンタルが弱くて、自分のプレーができないと、ハーフタイムに泣きながらベンチに戻ってくるんです。"お前、なに泣いてんねん!"ってよく怒っていました」

 自身を「ジャイアンタイプ。完全なるパワーマネジメントです(笑)」と評する金本。当時のチームメイトで、高校卒業後はジェフユナイテッド市原・千葉に進んだ青木孝太いわく「個性が強すぎるメンバー」を、キャプテンとしてまとめあげていた。

「ニッチョがいなければ、全国優勝はできていなかったと思います。それぐらい、みんなをまとめる中心的な役割でした」(青木)

 ある日の練習で、青木がチームメイトのプレーに苛立ち、途中で切り上げて家に帰ったことがあった。当時の野洲高のメンバーは互いに要求が高く、パスのタイミングがズレれば言い合いになり、ボールを右足につけるか、左足につけるかにまでこだわっていた。

 チームメイトの雑なプレーに我慢がならなかった青木は、怒りのあまり、グラウンドを飛び出した。その姿を見ていた当時の山本佳司監督(現総監督)は、金本に声をかけた。

「山本先生から『ニッチョ。青木を頼むな』と。『うそ。俺?』と思いながらも孝太に電話して、『頼むで。俺もこんな電話したないねん』とか言いながら、次の日に練習に来るように言っていました」

 青春の1ページらしく、ときにぶつかり、喧嘩をしながらも、チームワークを育んでいった野洲高の選手たち。個性派揃いのメンバーは、金本を中心にまとまっていった。

 金本のポジションはボランチだ。キック精度に天性のものがあり、左右にパスを散らし、両ワイドの楠神や乾、前線の青木を走らせるなど、トップ下の平原とともにセクシーフットボールの操縦士として活躍した。

「僕らの決まりに、『走っている選手には、絶対にパスを出す』というものがあるんです。タッチライン際を走っている選手が見えているのに、そこにパスを出さないのは罪やぐらいに思っていましたからね。だから、サイドの選手も思い切って攻め上がる。僕も『アイツなら、ここに走ってるやろうな』と思って、見ずにパスを出していましたから。それでパスが通るんです」

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