安西幸輝は三竿健斗に先を越されて奮起。劇的変化で鹿島入りを決めた (2ページ目)

  • 寺野典子●文 text by Terano Noriko
  • 渡部 伸●写真 photo by watanabe shin

 昨季、東京ヴェルディから加入した安西幸輝は、60試合を戦ったシーズン、50試合に出場している。本来の左サイドバックだけでなく、右サイドバック、両サイドハーフなど、さまざまなポジションでの起用は、大岩剛監督からの信頼の厚さを物語っていた。そして、2019年3月には日本代表に初選出され、2試合に出場。そんな安西は小学生時代から、高いレベルに身を置くことで成長してきた。衝撃と自信と落胆とを繰り返しながら、ステップアップを続けている。

「小学校時代は成長が遅くて、足も遅いし、スピードがなかった」と語る安西幸輝「小学校時代は成長が遅くて、足も遅いし、スピードがなかった」と語る安西幸輝

――埼玉県川口市出身の安西選手が東京ヴェルディのジュニアの一員となったのは? 地元の浦和レッズへの憧れはなかったのでしょうか?

「レッズへの憧れはありましたし、レッズへ行きたいとも思っていました。でも、少年団でコンビを組んでいた澤井直人(フランス2部リーグ・ACアジャクシオ)が、小4のときにヴェルディのセレクションに受かったんです。それが前期セレクションだったんですけど、『後期のセレクションを受けて、いっしょにヴェルディでやろう』と誘われて。僕がFWで、澤井がトップ下でコンビを組んで、やってきたから、澤井とサッカーを続けたいと思って、僕もセレクションを受けたんです。レベルの高いチームでプレーしたいとか、そういう考えはまったくなくて、ただ、いっしょにやりたいって」

――ヴェルディと言えば、名門チーム。そこのセレクションに受かるというのは、子どもながらにすごいなというふうには思わず?

「最初は思わなかったですね。でも、行ってみたら、みんなうますぎて、驚きました。ヴェルディのジュニアは小学4年生からなんですけど、少数精鋭だったし、みんなサッカーがうまいだけじゃなくて、個性も強かった。1個上には(中島)翔哉くん(アル・ドゥハイルSC/カタール)もいましたし、自分を出さないと生き残れない感じの世界でしたね。だけど、ジュニア、ジュニア・ユース、ユース出身でプロになった選手もたくさんいたので、ここにきてよかったなと思いました」

――そのときから将来はJリーガー、プロになると夢見ていたんですか?

「まったくそれはなかったです。ただチームメイト、同期に負けたくないという気持ちだけでした。でも、小学時代の僕は周りよりも成長が遅くて、足も遅いし、スピードがなかった。だから、FWではなく、ボランチでプレーしていました。一応スタメンで試合には使ってもらうんですけど、自分の思い通りのプレーが全然できなかった。パス&コントロールの練習を必死でやったりもしたけれど、少年団でやっていたように自分主体でのプレーができない。当時は泣き虫だったから、練習中からずっと悔しくて泣いてばかりでした。ときには、感情的にキレてしまって、練習途中で帰ったこともありました。チームメイトにはものすごく迷惑をかけてましたね」

2 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る