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10年在籍のFC東京から名古屋へ。
米本拓司の苦悩「最後のチャンス」 (4ページ目)

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi
  • 小早川 渉●撮影 photo by Kobayakawa Wataru

―― ピッチ内の自分を評価してくれて、ピッチ内で自分が成長できそうだと思える。もう他に理由はいらないですよね。

米本 そうなんです。やっぱり東京には10年も在籍させてもらったから、自分のことよりチームのことを考える時間のほうが長くなっていて。もう1回、初心に戻ってやりたいと思ったんですよね。これが、サッカーがうまくなれる最後のチャンスなのかなって。

―― 決断するにあたって相談はしたんですか? それとも、自分で悩み抜いて決めた?

米本 しましたね。兄とかに。

―― お兄さんはなんと? 「名古屋で大丈夫か?」と言ったひとりは、お兄さんだったりするんですか?

米本 いや逆で、「めっちゃいいじゃん」と。「お前は昔から追い込まれた時のほうが成長してきたから、いいと思うぞ」って。兄は小、中って僕のチームのコーチだったので。

―― すごく怖いコーチだったんですよね。

米本 ボコボコにされました(笑)。その兄が「お前は鼻をへし折られたあとのほうが伸びてきた。うまくなりたいと思えることが一番大事なんじゃない?」って言ってくれましたし、恩師の方にも相談しました。

―― 伊丹高校時代の山本(伸吾)先生ですね。

米本 そもそも高校時代、山本先生から「時間が許すかぎり悩み抜いて、それで出した答えは絶対に正しいから」って言われていて、その言葉がずっと頭に残っていたんです。当時、僕は東京かヴィッセル神戸かで悩んでいて。

―― プロ入りする時、U-17日本代表時代の恩師である城福(浩)さんの東京か、地元の神戸かで。

米本 そうです。だから今回も、時間が許すかぎり悩み抜いたんです。山本先生にもそういう話をして。

―― たとえば、奥さんとか、3度目のケガをした直後、米本選手が引退を考えたことを知っている人たちは、「まだまだ成長したいから移籍する」という決断を聞いて、喜んでくれたんじゃないですか。

米本 どうなんですかね。でも、妻は「行きたいところに行けばいいんじゃない? 刺激があったほうがいいんじゃない?」と背中を押してくれたし、僕が「環境が変わるから、ストレスがかかるかもしれないよ」と言ったら、「全然気にしなくていいよ」と言ってくれて、ありがたかったですね。

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