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田代有三が現役引退。「鹿島がなければ、
プロ生活は5年で終わっていた」 (2ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa
  • photo by YUTAKA/AFLO SPORT

 田代のキャリアは2005年、鹿島で始まった。福岡大学在籍当時から『大学ナンバーワンFW』として注目を集め、大学3年生のときには大分トリニータで、4年生のときにはサガン鳥栖のJリーグ特別指定選手となったが、大学を卒業してプロ入りするにあたって彼が選んだチームは、鹿島だった。

「同じFWとして、かねてから(鈴木)隆行さんの泥臭いプレースタイルが好きだったこと。また、大学卒業に際して声を掛けていただいた8クラブのうち、鹿島だけは早々と2年生の頃から声をかけてくださっていたこと。

 そして、当時の鹿島には隆行さんをはじめ、そうそうたる顔ぶれがそろっていて......とくに中盤には(小笠原)満男さん、タクさん(野沢拓也)、モトさん(本山雅志)らがいて、そういう人たちからパスを受けながら、FWでプレーするのは楽しいだろうなって思ったのが(鹿島入りの)決め手でした」

 結果的に、鹿島では2011年まで7年間にわたって在籍し、2007年から始まるJリーグ3連覇をはじめ、天皇杯やナビスコカップ(現ルヴァンカップ)など、数々のタイトルを獲得する。それらすべてが特別な記憶として刻まれているが、それ以上に、鹿島に根付くプロフェッショナルイズムは、彼にとって大きな財産となった。

鹿島では数々のタイトル獲得に貢献した田代有三鹿島では数々のタイトル獲得に貢献した田代有三

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