J1神戸からJFLへ。田中英雄の移籍先にきた大久保嘉人からの電話 (3ページ目)
それに正直、不思議と寂しさは感じていなくて。プロとしてのキャリアをスタートさせてもらい、13年間も在籍させてもらったヴィッセルには当然、愛着を感じていましたが、新しい場所で、新たなサッカー観に触れ、新しい仲間とサッカーをできることへの期待感も大きかった」
そうは言っても、彼が置かれている状況は決して楽観視できるものではなかった。年が明けた1月の時点で、正式なオファーが届いていたのはJFLに所属するテゲバジャーロ宮崎と、ラインメール青森のみ。1週間ほどキャンプに参加したKリーグ2部のチームとの話もまとまらなかった。
「かねてから『海外でプレーしてみたい』と考えていたことから、JFLの2チームに断りを入れたうえで、韓国にもチャレンジしましたが、話はまとまらず、最終的には一番熱心に誘ってくれたテゲバジャーロ宮崎にお世話になろうと決めました。『自分を必要としてくれるチームでサッカーをしたい』というのが一番の理由でした」
その決断にあたって、強く背中を押してくれたのが、かつてのチームメイトで今でも親交のある大久保嘉人(川崎フロンターレ)だ。契約満了を告げられたときからコミュニケーションを図ってきたなかで、彼の何気ないひと言がズシリと響いた。
「移籍するときは、本人でさえ、その選択が正解か、不正解かわからんよ」
実際、過去に何度も"移籍"を経験し、そのたびに思い悩んで決断する大久保の姿を見てきたからだろう。と同時に、環境を変えても結果を出し続けてきた大久保の姿は、田中を"答え"へと導いてくれた。
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