20年前に起きたJリーグ最大の悲劇。そのとき「F」の選手たちは... (4ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

 フリューゲルスは当時、チームの雰囲気がJリーグ18チームの中でも飛び抜けてよかった。茶髪だろうが、ピアスをしようが関係ない。練習場の駐車場には派手な外車が連なっていた。

 とにかく、個性的で、自由で開放的なクラブだった。選手間の結びつきも他のクラブより強く、選手とフロントの関係も良好だった。

 だからこそ、選手たちは「なぜ相談してくれなかったのか」という思いが強く、すべてが選手の知らない"密室"で決められてしまったことに対して、怒りが収まらなかったのだ。

 当日の練習は、10時スタートから14時スタートに変更されて自主参加になった。選手たちの心理面でのショックが大きく、練習できる状態ではなかったからだ。

「俺ら、どうなるんですか」
「俺なんて、来年からプーだよ」

「もう、みんな戸惑って、頭の中が混乱していたし、練習はやったかどうかさえ覚えていない」

 そう三浦が振り返ったように、それほど現場は混乱していた。

 フロントから決定事項だけを知らされたその夜、三浦は山口や薩川了洋(さつかわ・のりひろ)らと今後のことについて話し合った。

「佐藤工業が(クラブ経営から)下りるのは仕方がない。でも、フリューゲルスは人気のあるチームなので、新たにスポンサーを募れば他のところが見つかって、今のまま(クラブが)継続できるんじゃないかって思っていました。そういう話をモトさん(山口)たちとして、その場は盛り上がったんですが......」

 しかしJリーグは、新聞紙上で事態が表面化したその日に理事会を開いて、フリューゲルスのマリノスへの吸収合併を承認していた。

 Jリーグは、"チーム解散"という最悪の事態を回避するための策として了承したのだが、選手にとってみれば、チームがなくなることに何ら変わりはなかった。

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