スタジアム近所の子供が守護神に。曽ヶ端準とアントラーズの幸せな歩み

  • 寺野典子●文 text by Terano Noriko
  • 五十嵐和博●撮影 photo by Igarashi Kazuhiro

遺伝子 ~鹿島アントラーズ 絶対勝利の哲学~(5) 
曽ヶ端準 前編

中田浩二の証言から読む>>


 広いミックスゾーンの中央で、昌子源と話していたガンバ大阪の東口順昭は、鹿島アントラーズの曽ヶ端準(そがはた ひとし)の姿を見つけると、サッと駆け寄り挨拶をした。短い言葉を交わしたのち、両手で曽ヶ端と握手する姿が印象深かった。

 鹿島vsG大阪が行なわれた3月3日のカシマスタジアムでの光景だ。

「曽ヶ端さんをはじめ、(川口)能活さんやナラさん(楢崎正剛)が長く活躍してくれているのは、本当に力になりますからね。もっともっと続けてほしい」

 試合の行方を左右するピンチを救い続けた東口は、日本代表ゴールキーパーの先輩たちの名前を口にした途端、敗戦でわずかに硬くなっていた表情が一気に破顔する。

 1998年、鹿島アントラーズに新加入した"高卒6人衆"。小笠原満男を筆頭に、世代別の代表にも名を連ねる高校サッカーの雄が揃っていた。曽ヶ端もその一員ではあったが、当時はまだ代表の守護神という立ち位置ではなかった。

 曽ヶ端のプロのキャリアは、市川友也に次ぐ2人目の鹿島ユース出身選手としてスタートした。その後、1998年のAFC U-19選手権、1999年のワールドユースを経て、2000年にA代表デビューを飾る。2002年日韓W杯メンバーに入り、2004 年にはオーバーエイジ枠でアテネ五輪にも出場した。

 鹿島での時間が曽ヶ端の進化を促したことは言うまでもない。ポジションは違えども、同期の活躍が後押しになっているのだろう。

長らく鹿島の守護神として活躍してきた曽ヶ端準長らく鹿島の守護神として活躍してきた曽ヶ端準

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――今季で、鹿島在籍21年目を迎えましたね。

「引退する選手もいるなかで、サッカーを続けていられることに幸せを感じます。僕はカシマスタジアムの近くで生まれて、育ちました。生まれた町にプロクラブがあり、そこでプレーできるなんていう幸せを味わえる人は、そう何人もいるわけじゃないでしょう? 同じ市ならまだしも、スタジアムが徒歩圏内ですからね」

――「ここにスタジアムができるのかぁ」と、子どもの頃は思っていたんですか?

「ジーコが住友金属サッカー部へ来たのが小学生の頃。スタジアムそばの小学校へ通っていました。そして、中学時代に鹿島アントラーズが生まれた。スタジアムもそうですけど、何もないところを切り拓くような感じでスタートしましたから」

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