新連載・アントラーズ「常勝の遺伝子」。生え抜き土居聖真は見てきた (3ページ目)

  • 寺野典子●文 text by Terano Noriko 井坂英樹●写真 photo by Isaka Hideki

    ――山形を出るという決断に迷いはなかったですか?

「自分でもレベルの高い場所に身を置きたいと思っていたので、山形を出ることに迷いはなかったです」

――新天地でのサッカーはどうでしたか?

「同学年のなかでは巧いほうだったけれど、僕はとにかく身体が小さかったんです。だから、中3の先輩とプレーすると、大人と子どもみたいな感じでした。スピードと技術だけでは、どうしようもない差を感じました。

 しかも、走るのが苦手でスタミナもないのに、毎日毎日走る練習ばっかりだったんです。あとは基礎練習。毎日、学校が終わると自転車で練習場へ向かいながら、『今日はボール使えるかなぁ』と考えていましたね。その練習場もクラブハウスとは違う場所で、環境が整っているわけでもない。

 とにかく、苦しかったというのが中学時代の思い出です。でも、サッカー選手としてどうこうというよりも、規律とか責任感とか、人間として大切なことを教わった3年間でした。それに、いつもビリを走っていた僕が、気づくと真ん中くらいを走れるようになったのは良かったですね、今思うと(笑)」

――ユースに上がると寮生活が始まります。

「僕の高校3年間はちょうど鹿島が3連覇したときだったので、寮で、みんなで応援していました。ゴールが決まると『ウォ~!』って、廊下を走り回ったりして。そして、シーズン前のキャンプの時なんかに、トップの練習にも参加させてもらえたんです。

 マルキーニョスがいて、モトさん(本山雅志)、野沢(拓也)さん、(小笠原)満男さん......スタメン組は本当にすごかった。早くその中でもまれたいといつも思っていました。練習参加といっても、キャンプ中だからフィジカルメニューが中心で、ゲームをやってもいっしょにできる環境ではなかったんです。それでも、プロというものを身近に、現実的に感じられるようになりました」

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