新連載・アントラーズ「常勝の遺伝子」。生え抜き土居聖真は見てきた (2ページ目)

  • 寺野典子●文 text by Terano Noriko 井坂英樹●写真 photo by Isaka Hideki

 昨季はACL敗退直後に監督が交代。コーチから昇格した大岩監督以下、現体制で再スタートしたが、あと一歩のところでリーグ優勝を逃した。そして、今季は、内田篤人の復帰はあったものの、他は若い選手を補強した。それは、新時代へ向けた構想とも考えられる。捲土重来を賭けたクラブにとって新たな時代のスタートとなるのか? 

 選手、スタッフ、OBなどのインタビューとともに、過去を振り返り、現在を追い、未来を探っていきたいと思う。

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 ホームタウンの人口の少ないクラブにとって、下部組織からの生え抜き選手をトップ昇格させるのは困難だ。ましてやトップチームが強豪であれば、なおさら難しくなる。

 鹿島アントラーズはホームタウン5市の人口が約28万人。高体連出身の選手が多いのもそれが理由のひとつだろう。しかし、プロ化に伴い、学校の部活ではなく、多くのタレントがJクラブでのプレーを選択するようになった。才能の獲得競争のターゲットが若年層へ向かうスピードは、年々加速度を増している。

 昨年日本代表デビューを飾った土居聖真(しょうま)は、鹿島アントラーズジュニアユース、ユースという生え抜き選手だが、実は小学6年生まで山形のOSAフォルトナ山形FCでプレーしていた。中学進学を前に鹿島の一員となった土居は、当時クラブではレアなケースだった。

昨年、A代表にも召集された土居聖真昨年、A代表にも召集された土居聖真――どういういきさつで、鹿島のジュニアユースへ加入したのでしょうか?

「小学6年生の秋くらいに、最後の大会として出場したフットサルの全国大会が終わったときに指導者から『アントラーズのセレクションを受ける気があるか?』と聞かれたんです。アントラーズのコーチから声をかけたられたと。すでに、卒業後に行くクラブも決まっていたから、冗談だろうと思っていたら、後日、自宅に電話もかかってきて、『これ、本当の話なのか』って(笑)。

 当時、鹿島はジュビロと2強と言われていた。あまりにも遠い存在過ぎて、そのジュニアユースへ行けるのかというよりも、関東のクラブへ行けば、レベルの高いなかでサッカーができるという気持ちのほうが強かったですね。関東のチームは巧いだけじゃなくて、とにかく強かったので。そのセレクションに合格し、鹿島でサッカーをしたいと覚悟を決めて、母親と一緒に鹿嶋で暮らすことにしました」

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