ピクシーのイライラが消えた。ベンゲルがタクトを振り、選手が応える (3ページ目)

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi

小倉隆史の復帰と中西哲生の3試合連続ゴール

選手の適性を見極めながらチームを作っていったベンゲル photo by Getty Images選手の適性を見極めながらチームを作っていったベンゲル photo by Getty Images 前年に続く猛暑のなか、待望の男が復帰した。8月12日のニコスシリーズ(第2ステージ)開幕戦で、小倉隆史が実に3カ月ぶりにスタメンに名を連ねたのだ。

 小倉は、名古屋グランパスのフランスキャンプと同時期に行なわれたアトランタ五輪アジア1次予選のタイ戦で、悪質なファウルを受けて右ヒザのじん帯を痛めていた。その大ケガから戻ってきたストライカーは、これまで通り2トップの一角に配置され、ストイコビッチとコンビを組んだ。小倉の代わりにFWを務めていた岡山哲也は右サイドハーフに回った。

 もともと中盤の選手で、司令塔タイプであるストイコビッチには、攻撃時に自由が与えられていた。それゆえ、ストイコビッチは自分の感性に従ってサイドに流れたり、中盤に下がってボールを受けたりした。2トップの形を取っていたが、ストイコビッチにはトップ下のような役割が託されていたのだ。

 となれば、コンビを組む小倉はファーストストライカーとして前線に張るのがセオリーとなる。しかし、アーセン・ベンゲルは小倉の動きも制限することはなかった。

 小倉の適性も、ファーストストライカーではなくセカンドトップ。やや下がり目の位置で自由にプレーするときに、その真価が発揮される。それを理解していたベンゲルは、小倉にもある程度の自由を与えたのである。

 ある大学がストイコビッチと小倉のプレーエリアを分析したところ、面白いデータが出た。2人とも中盤やサイドでプレーする時間が長く、似たような動き方をしていたのである。小倉がストイコビッチとの関係性を振り返る。

「極端なことを言えば、俺が右サイドに流れたとき、ピクシーも左サイドに流れてボールを呼んでいることがあったね」

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