浦和の命運がかかる大一番で下された、エース・福田正博への非情采配

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun

私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第4回
世界で一番悲しいVゴールを決めた男~福田正博(2)

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 1999年11月27日、J1リーグセカンドステージ最終節(第15節)。J1に生き残れるのか、それともJ2に降格するのか。浦和レッドダイヤモンズにとって、まさしく決戦の日がやってきた。

 相手はサンフレッチェ広島。2万人を超えるファンが訪れた駒場スタジアムは、浦和サポーターで膨れ上がり、スタンドは真っ赤に染まっていた。

 この年、J2リーグが発足し、J1から初めて降格チームが出ることになる。全16チーム中、下位の2チームが自動降格する規定だった。

 最下位(16位)のベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)は、早々に降格が確定。最終節では降格する残り1チームが決まる。降格の可能性があったのは、13位のアビスパ福岡、14位の浦和、15位のジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド千葉)だった。

 第14節終了時点での年間総合順位は以下のとおりである。

順位 チーム  勝点 勝利 V勝 引分 負け 得失点差
13位 福岡   28  7  3  1  18  -16
14位 浦和   26  7  0  5  17  -20
15位 市原   25  5  4  2  18  -16
※V勝=延長Vゴール勝ち。同シーズンの勝ち点は90分勝利=3、延長Vゴール勝利=2、引き分け=1。

 福岡は引き分け以上であれば、無条件でJ1残留となる。たとえ負けても、大差で負けなければ、他の2チームが延長に突入した時点で残留は確定する。

 浦和の場合は、90分以内で勝てば無条件でJ1残留となる。しかし延長戦に突入すると、勝利しても、福岡が負けた場合は勝ち点では並ぶが、得失点差で劣る可能性が高い。一方、市原が90分以内で勝てば勝ち点で並ばれてしまい、得失点差で勝る市原のJ1残留が確定し、浦和がJ2に降格することになる。

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