どん底の森﨑浩司を救った、
森保一監督とふたりだけの早朝ランニング (6ページ目)
広島で生まれ育ち、ユースから数えれば20年、プロになってから17年を広島ひと筋で過ごしてきた。地元で生まれ育った選手が、育成組織を経て、地元のクラブでユニフォームを脱ぐ――。その軌跡は、彼ひとりだけのものではなく、サンフレッチェ広島というクラブ、さらにはJリーグの功績ともいえる。まさに、1992年に産声を上げたJリーグが紡(つむ)いできた"ひとつの結晶"だった。
どうしても聞きたいことがあったから、浩司がスタジアムを出るときに呼び止めると、最後に話しかけた。
「ホーム最終戦は楽しめたの?」
すると、彼はこう答えた。
「スタジアムに入る前までは、地に足がついていなかったんですけど、サポーターのコールを聞いたら、自然とスイッチが入りました。自分でもまさかゴールを決められるとは思っていなかったし、試合に出たらやっぱり勝ちたいという思いは沸いてきましたけど、楽しかったし、カズとのパス交換も含めて、ひとつひとつのプレーを楽しみました」
その言葉を聞いて、ようやく彼は苦しみから解放され、子どものころのようにサッカーを楽しめたのかと思い、こちらも笑顔になれた。
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