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【恩田社長の600日】特別寄稿
「解任されたラモス監督の功罪」 (6ページ目)

  • 恩田聖敬●文 text by Onda Satoshi  photo by AFLO

 ラモス氏が来てくれたおかげで、岐阜県の行政や経済界がその気になり、クラブハウス建築とスタジアム改修が進み、悲願のJ1ライセンスを取得することが出来ました。これは、まぎれもない事実です。ラモス氏は、形あるものを残してくれました。

 しかし、形ないものを残してくれたかというと、疑問符がつきます。チームに3年間の積み上げは見られず、毎年半数近くの選手が入れ替わり、リセットされてしまいました。初年度こそ、岐阜出身選手の育成として、遠藤選手や比嘉選手らに出場機会を与える面もありましたが、余裕を失った2年目以降、そのような動きはなりを潜めました。近視眼的なチーム運営だったと言わざるを得ません。

 そのすべての責任は、社長であった私にあります。私の力が足りなかった故に、中長期的スパンでのクラブ運営について、監督に理解してもらい、チームに浸透させることが出来ませんでした。私こそ、クラブに対して何も残せなかった社長だったので、人のことをとやかく言う資格はありません。期待してくださった皆様には、お詫び申し上げます。

 今回の宮田社長の英断と胆力に、心より敬意を表します。私には出来ませんでした。この決断がクラブにとっても、ラモス氏にとっても、ハッピーな方向に進むことを祈りつつ、筆を置きたいと思います。

 初めてお会いした時のラモス氏の「ぎふのために」の言葉に嘘はなかったです。

「ラモスさん、これまでぎふのために尽力頂き、ありがとうございました!」

●本編の第7回はこちら>

【profile】
恩田聖敬(おんだ・さとし)
1978年5月10日、岐阜県生まれ。岐阜北高―京都大―京都大大学院を修了し、2004 年にネクストジャパン入社。ゲームセンター店長など、アミューズメント、エンターテインメント系の仕事に従事し、キャリアを積む。2012年、ネクスト ジャパンホールディングスがJトラストに吸収合併されて、同社に移る。2014年から岐阜フットボールクラブ代表取締役社長に就任。2015年1月、筋萎 縮性側索硬化症 (ALS) の発症を公表し、2015年11月、社長退任を発表した。2016年6月30日に「株式会社まんまる笑店」を設立。代表取締役社長に就任。

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