【恩田社長の600日】特別寄稿「解任されたラモス監督の功罪」
FC岐阜・恩田社長の600日 ~Jリーグ地域クラブへの伝言~
番外編 ラモス監督解任! そして、誰もいなくなった
FC岐阜で約2年半、指揮を執ったラモス瑠偉監督
7月22日、FC岐阜の監督であったラモス瑠偉氏との監督契約解除が、クラブよりリリースされました。
2014年シーズン開幕前、新生FC岐阜の象徴として招聘された、ラモス瑠偉監督・川口能活選手・三都主アレサンドロ選手の面々。誰もが知っている元日本代表の加入に、岐阜県中の人々が心躍らせました。
しかしながら、1年後に三都主アレサンドロ選手に戦力外通告、2年後には川口能活選手に戦力外通告、そして、今季のシーズン途中でのラモス瑠偉監督の解任となり、3人ともFC岐阜を去りました。まさに「そして、誰もいなくなった」のです。
「名選手、名監督にあらず」とは、よく言われることですが、ラモス氏はどうだったのでしょう。今回は番外編として、社長と監督という関係で彼とタッグを組んだ、約2年間を振り返ってみようと思います。
彼と初めて顔を合わせたのは、2014年2月、チームの必勝祈願のために訪れた伊奈波神社においてでした。以前も書きましたが、私自身はラモス氏の招聘には関わっていません。また、当時の私は、社長就任前のいわば研修中の身でした。つまり完全に初対面です。
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