【育将・今西和男】マツダの寮長から、日本サッカー界初のGMへ
『育将・今西和男』 連載第9回
組織を育(はぐく)む(1)
1994年Jリーグファーストステージ、サンフレッチェ広島が制覇。カップを掲げるキャプテン風間八宏 今西が育て上げてきたのは個としての選手、指導者だけではない。バジェットも少なく、地理的なハンディもあった西端のチーム・サンフレッチェ広島を総監督として、Jリーグがスタートして2年目の1994年ファーストステージで優勝させている。時はJリーグバブルの渦中で、ヴェルディ川崎、横浜マリノスの全盛期であり、まったくのダークホースであったサンフレッチェの初戴冠は注目を浴び、日本サッカー界初のGM(ジェネラルマネージャー)の称号を受けている。
それは選手個人の人生に寄り添って、そのスキルを上げるだけではなく、チーム全体に目配りをして、トップチームの監督の選定から、普及や育成などを担うアカデミーや下部組織の構築まで、幅広く手がけてきたことの結実であった。特に育成に関しては「日本一の育成型クラブ」を目標に掲げて、10代の少年たちに対して、人間教育を主眼に置いた今西の理念と行動力が成しえたものである。寮がある地元吉田町(現・安芸高田市)との堅実な密着(ユースの選手は全員が県立吉田高校に通学し、同校サッカー部との交流を深めている。学業成績が悪いとペナルティも科される)も含めて、サンフレッチェユースはJリーグの下部組織における模範とさえ言われるに至った。
この人間育成、組織構築のノウハウをいったいどこで学んだのか? と今西に問うたことがある。「マツダの社員寮の寮長時代に得た経験でしょうかね」という答えが返って来た。
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