【育将・今西和男】マツダの寮長から、日本サッカー界初のGMへ (3ページ目)
盆や正月ともなれば、皆帰省していくが、それもできない事情のある者たちのために、率先してハイキングなどレクリエーションを企画し、寮生たちを誰一人として疎外しないように盛り上げていった。
30歳にして、7500人の居住者をひとつにまとめていくという経験が、後の「今西一家」と呼ばれるサンフレッチェの組織作りに役立ったことは、確かに想像するに難くない。
さらに1994年優勝の功績から今西は日本サッカー協会の強化委員会の副委員長に就任している。
日本の代表監督に外国人監督が就任したのは、オランダ人指揮官のハンス・オフトが最初であるが、そのオフトに大きな評価を下したのもマツダ時代の今西である。
「育将」シリーズは、人材と同時に監督や組織構築に辣腕をふるった軌跡も、次週から並行して記していこうと思う。
【profile】
今西和男(いまにし・かずお)
1941年1月12日、広島県生まれ。舟入高―東京教育大(現筑波大)-東洋工業でプレー。Jリーグ創設時、地元・広島にチームを立ち上げるために尽力。サンフレッチェ広島発足時に、取締役強化部長兼・総監督に就任した。その経験を生かして、大分トリニティ、愛媛FC、FC岐阜などではアドバイザーとして、クラブの立ち上げ、Jリーグ昇格に貢献した。1994年、JFAに新設された強化委員会の副委員長に就任し、W杯初出場という結果を出した。2005年から現在まで、吉備国際大学教授、 同校サッカー部総監督を務める
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