『育将・今西和男』 次週より連載スタート! (3ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by Nikkan sports

 固陋(ころう)なセクショナリズムに囚われず、日本サッカーを皆で強くしていこうという気持ちの表れだった。

“育将”というのはむろん、造語である。育(はぐく)む=成長を助ける、発展させる、育てる。今西を描くために呼称するにはこの育む将という言葉が当てはまると考える。

「人は石垣、人は城」=(勝敗を決するのは、城ではなく人である)とは武田信玄の至言である。ブラジルW杯で日本代表が惨敗を喫した際、岡野俊一郎(元JFA会長)は「日本協会は人材を育てずに来てしまった」とその敗因を指摘している。なるほど、確かに22年前のJリーグの誕生は劇的にサッカーを取り巻く環境を変えた。いわば城は作った。しかし、マネーが回るシステムが構築出来ても、連綿と意志を継続する人材がいなければ、いつまで経っても代表監督が変わるごとに、日本オリジナルのサッカーの方向性はその度に揺れ続ける。クラブ数を増やす拡大路線を追求して来た結果、J3まで設けたが、一方で肝心の人を育てることをおろそかにしてしまっていたのではないか。

 ならば、今西和男を描くことで人を育てる真髄に触れてみよう。いかにして人材は覚醒していったのか。次週から、その指導を受けた選手たちが語る今西像を届けていく。

【profile】
今西和男(いまにし・かずお)
1941年1月12日、広島県生まれ。舟入高―東京教育大(現筑波大)-東洋工業てプレー。Jリーグ創設時、地元・広島にチームを立ち上げるために尽力。サンフレッチェ広島発足時に、取締役強化部長兼・総監督に就任した。その経験を生かして、大分トリニティ、愛媛FC、FC岐阜などではアドバイザーとして、クラブの立ち上げ、Jリーグ昇格に貢献した。1994年、JFAに新設された強化委員会の副委員長に就任し、W杯初出場という結果を出した。2005年から現在まで、吉備国際大学教授、同校サッカー部総監督を務める

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