『育将・今西和男』 次週より連載スタート! (2ページ目)
久保はほんの一例である。サンフレッチェを二連覇に導いた森保一、豪快なアジアの大砲から緻密な指導者に転進した高木琢也(現V・ファーレン長崎監督)もまた、今西によって無名だった自分は発見されて、多大な影響を受けたということを異口同音に語った。
日本サッカー界において今西和男ほど、人材の発掘と育成に長(た)けた人物はいない。GM(ゼネラルマネージャー)として礎を築いた広島からは、松田浩(元アビスパ福岡、ヴィッセル神戸、栃木SC監督)、小野剛(現ロアッソ熊本監督)、風間八宏(現川崎フロンターレ監督)ら、Jリーグの名だたる監督たちを輩出している。いや、選手や監督だけではない。新卒で入社した東洋工業から、最終的には社長まで務めたFC岐阜に至るまで、今西が所属したチームではマネージャーから広報、運営など裏方のスタッフまで、その薫陶を限りなく受けたという人々が数多くいる。
ただ単に組織で重なった時期にノウハウや社会人としての振る舞いを教えたというだけではない。久保の例にあるようにクラブを離れても徹底的に人生の最後まで面倒を見る。東京教育大の同期でかつて東京ヴェルディの社長をしていた坂田信久はこう言っている。「サンフレッチェ広島に高校生の良い選手がなぜ集まっていたか分かりますか? 今西が広島を退団した選手を誰一人として路頭に迷わせなかったからです。あいつが全国を回って、頭を下げて就職を世話したんです」そんな行動を知った全国の高校の教員や指導者が「教え子は今西さんのところへ預けたい」と考えるのは自然な流れだった。
そしてその視野や活動範囲は自らのクラブに留(とど)まらなかった。サンフレッチェ時代にはチームの強化だけではなく、生まれたばかりの大分トリニティ(現トリニータ)や愛媛FCに積極的に人材を供給し、九州、四国のJクラブの旗揚げと育成に深く寄与している。今年、愛媛FCの社長に就任した豊島吉博は「指導や普及においてうちはまだJFLを目指しているときからサポートしてもらった。すごくありがたかった」と感謝の言葉を惜しまない。
2 / 4