なぜ今年の大宮は「残留力」を発揮できなかったのか? (2ページ目)

  • 土地将靖●文 text by Tochi Masayasu

 一時は徳島に勝ち点4差まで追い上げられ、最下位になる可能性すらあった。それにもかかわらず、フロントの腰は重かった。J1昇格後、シーズン途中での指揮官更迭は過去4度。スタートダッシュに成功した昨年の例外を除き、降格回避のための交代劇は、2007年、2010年、2012年の3回だ。そのうち2シーズンは、20試合以上を残した中での交代で、後任監督によるチーム再建の時間的余裕は残されていた。降格圏に陥る手前での早めの決断が、これまで最悪の事態(J2降格)を回避できた要因とも言えるだろう。

 しかし、今年は、「第18節の仙台戦で勝てなければ大熊監督解任」という話が上がったものの、ドローという結果にもかかわらず、決断は先送りされた。結局、第22節・浦和戦のさいたまダービー敗退(0−4)まで引っぱり、渋谷新監督は残り12試合、シーズンのラスト約3分の1でチームを託され、J1残留というミッションを負うことになった。

 短い期間での立て直しを任された渋谷監督は、これが初めてのJクラブでの監督業。それゆえ、不慣れな面はあったのかもしれない。そんな中、就任後の6試合で5勝1敗という結果を出し、一時は降格圏からチームを脱出させた。

 ただ、「勝つしかない」状況に追い込まれた結果、そのアグレッシブさが裏目に出た試合も多くなった。特に第29節以降は、攻めに掛かったところで簡単に失点を許す試合が多く、5試合で10失点を喫し、1分4敗で再び降格圏に陥った。結果論ではあるが、すべて1点差負けだったこの4敗のうち、いずれかの試合で勝ち点1をもぎ取っていれば、残留できたことになる。

 また、大宮の残留劇で欠かせなかった、お家芸とも言える「シーズン途中の補強策」も、今年は効果が少なかった。7月に加入したFWムルジャは18試合9得点と結果を残したが、シーズン序盤に加わったMF増田誓志は最後までフィットせず、先発出場11試合にとどまった。MF曺永哲(チョ・ヨンチョル)の移籍で空いたアジア枠を埋めたMF趙源熙(チョ・ウォニ)はわずか4試合、ブラジル人のMFマテウスに至ってはリーグ戦での出場機会がなかった。残留のために指揮官の求める戦力が整っていたのか、疑問は残る。

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