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風間八宏が語る46年前のサッカー日本代表「夢の中盤」 香港の観客も拍手した若きテクニシャンたち (3ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Takeo Goto

【地元の観客が拍手】

 参加国は日本のほかに香港、中国、北朝鮮、シンガポール、マカオ。グループ分けのための予備予選を戦った後(日本はシンガポールに1-0で勝利)、3チームずつに分かれてリーグ戦を行ない、上位2チームずつが準決勝に進出。決勝戦で勝ったチームが最終予選に進むことができた。

 日本は、グループリーグでまず中国と戦った。観客は16,900人。香港人は当然、中国を応援する。

 そして、開始7分で中国の容志行に25メートルのミドルシュートを決められてしまう。

 容志行は中国の伝説のFWだった。

 中国は、台湾(中華民国)の加盟に抗議して1950年代末にFIFAを脱退。1979年にようやく復帰したばかりで、ひさしぶりのW杯挑戦だった。1960年代後半には中国は文化大革命で大混乱に陥り、国際的にもずっと孤立していた。

 容志行は1970年代の中国のエースだったのだが、国際試合もほとんどなかったので、そのプレーは国外ではあまり知られていなかった。だが、一部には崔貞敏(チェ・ジョンミン=韓国)、釜本と並ぶ第2次世界大戦後のアジアを代表するストライカーとも言われていた。

 容志行は32歳のベテランだったが、中国代表には後に日本の富士通(川崎フロンターレの前身)で選手、監督として活躍した沈祥福(23歳)や、後に西ドイツのダルムシュタット98でもプレーした古広明(21歳)などの若手もいた。

 さて、中国に先制されたものの、その後は日本のMFがテクニックを発揮してゲームを支配する。そして、40分には右サイドをドリブルで抜けだした横山正文(新日鉄)のループシュートが左のポストに当たり、41分には正面のFKからの木村和司(明治大学)のシュートが4人の壁を越えたが、今度は右のポストに嫌われた。

 後半は、さらに一方的な展開になり、終盤にはスイーパーを務めていた前田秀樹(古河電工)を中盤に上げてさらに攻勢を強めたが、結局、1点を返すことができずに日本は涙をのんだ。

 しかし、内容は圧倒的だった。日本がテクニックを生かして試合をコントロールするというのは、これまでにはなかったことだ。そして、中国を応援していたはずの香港の観客も、いつの間にか日本の攻撃に拍手を送り始めていた。

 中国広東省の一部だった香港はアヘン戦争後の1842年に英国植民地となった(1997年に中国に返還)。その後、多くの英国人が住むようになったため、香港は東アジアのサッカー界の中心地となっていた。

 1937年に始まった日中戦争で、香港は中国の抗日戦を支援していた。太平洋戦争が始まった1941年に日本に占領されると、香港は弾圧を受け、経済も悪化した。1980年当時は、まだ戦争の記憶が残り、反日感情も強かった

 だが、香港の観客はテクニカルなサッカーが大好きだった。それで、日本代表のボール回しに魅了されていったのだ。日本のパス回しに拍手が起こり、直接FKの場面では木村がボールをセットすると歓声が沸いた。

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