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サッカー日本代表ができない選手の「ローテーション」 森保流「勝利至上主義」の行きつく先

  • 杉山茂樹●文 text by Shigeki Sugiyama

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連載第112回
杉山茂樹の「看過できない」

 日本代表のサッカーがもうひと皮剥けない理由は何か。森保一監督の日本代表監督としての国内最終戦となったニュージーランド戦をとおして浮かび上がってきたのは、日本人の気質だ。

キリンカップ優勝を喜ぶ森保一監督と日本代表の選手たち photo by Miki Sanoキリンカップ優勝を喜ぶ森保一監督と日本代表の選手たち photo by Miki Sano この試合はキリンカップ決勝だった。カップ戦の決勝と言えば聞こえはいいが、あくまでも親善試合だ。よく言ってもテストマッチである。それでは訴求力に欠けるとばかり、見栄えをよくするために便宜上、カップ戦形式にしたに過ぎない。権威や格式はまったくない。優勝しようが最下位になろうが、賞金額に多少の差が生じるだけで、大局に影響はない。

 森保監督は例によって「FIFAランクを維持するためにも絶対に負けられない」と、ワールドカップ本大会の抽選がFIFAランクに従ってポット分けがされることを理由に挙げた。だが、この手の親善試合のFIFAランクに反映されるポイント数は低い。日本よりFIFAランクの低い国に勝利しても、ランク上昇は望めないのである。これは勝利至上主義者であることを隠そうとするための言い訳、方便だと言われても仕方がない。

 ニュージーランド戦はけっしてビッグマッチではなかった。にもかかわらず、試合後の監督会見で最初の質問者はこう切り出した。

「キリンカップ優勝、おめでとうございます」

 ヨイショと言うより、自然に湧き出た本心のようだった。この一戦を伝えるスポーツニュースやネット記事の見出しも、「優勝」というフレーズを強調しながら報じていた。メディアが「優勝」をフィーチャーすれば、受け手は少なからず感化される。優勝してよかったと幸せな気分に襲われる。さまざまな問題は公になりにくく、全体としてうまくいっている印象を与える。

 大袈裟に言えば、これを8年2カ月にわたって繰り返してきたのだ。森保監督を巡っては、この間、大きな解任騒動が起きなかった。目の前の試合に勝利することにこだわるその勝利至上主義は、日本のメディア及び日本国民の気質と親和性が高かった。勝っているのだから変える必要がない。その采配を肯定こそすれ、メスを入れようとする人は限られていた。

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著者プロフィール

  • 杉山茂樹

    杉山茂樹 (すぎやましげき)

    スポーツライター。静岡県出身。得意分野はサッカーでW杯取材は2026年北中米大会で12回連続。五輪も夏冬併せ9度取材。著書に『ドーハ以後』(文藝春秋)、『4-2-3-1』『バルサ対マンU』(光文社)、『3-4-3』(集英社)、『日本サッカー偏差値52』(じっぴコンパクト新書)、『「負け」に向き合う勇気』(星海社新書)、『監督図鑑』(廣済堂出版)、『36.4%のゴールはサイドから生まれる』(実業之日本社)など多数。

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