【マラソン】「結果が出なかったら、もうやめようと思っていた」故障続きだった丹所健、覚悟の初マラソンでMGC切符
【不定期連載】箱根からロス五輪へ~MGCに挑むランナーの肖像~
第8回 丹所健(Honda)後編
8月30日、マラソン初挑戦となる北海道マラソンで2位に入り、MGC出場権を獲得した photo by Aflo
箱根駅伝を走ったという事実は同じでも、その物語は一人ひとりまったく違う。区間賞を重ねたスターもいれば、たった一度の出走で思うような成績を残せなかった選手もいる。本連載では、2028年ロサンゼルス五輪代表の座を争うMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)出場権獲得ランナーたちに、箱根を走った学生時代の記憶、そして、世界を見据えて42.195kmに挑む現在地を聞く。
第8回は、丹所健選手(Honda・25歳)。駅伝で存在感を放った東京国際大時代の歩みを振り返った前編に続き、この後編ではHonda入社後の苦悩と復活への道のりを聞いた。思うようにレースへ出られない時期を乗り越え、今年8月の北海道マラソンでは初マラソンながら2時間10分55秒で2位に入り、MGC出場権を獲得。実業団での日々、支えてくれる人たちへの思い、そしてロス五輪へつながるMGCへの決意に迫った。
前編を読む>>>箱根駅伝3区で区間賞なのに、周りからは「負けてんじゃん」丹所健が今も悔しがる理由
【ニューイヤー駅伝連覇のHondaへ】
東京国際大を卒業した丹所健(たんしょ・けん)は、Hondaに入社した。
「最初は、Hondaとほかのチームとで迷っていました。どうしようかと考えていた時、大志田(秀次/元・東京国際大監督、現・明治大監督)さんに『(伊藤)達彦、(イェゴン・)ヴィンセントと、3人での襷渡しを見たい』と言われたんです。すでにヴィンセントが入社することが決まっていましたし、達彦さんもいる。大志田さんにそう言われたのがすごく大きかったですね。あと、僕が入社する前、ニューイヤー駅伝を2連覇していて、勢いに乗っていたので、Hondaに行けば力がついて、将来、日の丸を背負えるかもしれないと思い、入社を決めました」
入社1年目は、5000mでは13分20秒~30秒台、10000mでは27分台を出すことを目標にした。まずはトラックでスピードを磨き、4年目にマラソンを走ることを考えていた。丹所は、大学時代から将来やるならマラソンと心に決めていたという。
「大学時代、ハーフ(マラソン)とかのタイムは持っていなかったんですけど、駅伝を走ったり、練習で20kmのペース走をやったりするなかで、ロングの適性があるなって思っていたんです。トラックだとラストスパートの勝負になることが多いんですけど、僕はそのスピードが少し劣るところがある一方で、長い距離を一定のペースで走る方が得意だった。それがストロングポイントでもあるので、マラソンをやろうと思っていました」
目指す方向性が明確になった入社1年目。東日本実業団駅伝を走り終えたあとのことだった。これから2024年のニューイヤー駅伝(全日本実業団駅伝)に向けて調整しようと考えていた矢先、右ふくらはぎの肉離れを起こした。大学3年時、出雲駅伝後にも軽度の肉離れを経験したが、その時は2週間ほどで回復した。今回も同じくらいで治ると思っていたものの、想像以上に長引き、ニューイヤー駅伝への出場を断念せざるを得なかった。
「ニューイヤー駅伝に出られなくて悔しかったんですけど、その時は、まあケガをしてしまったものはしょうがないと思っていたんです。でも、治ったあと、今度は左脚のふくらはぎを痛めて、それが治るとまた右脚をやってしまい......。その繰り返しで走れない時間が続き、メンタルがかなり削られました」
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著者プロフィール
佐藤俊 (さとう・しゅん)
1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)、「箱根5区」(徳間書店)など著書多数。近著に「箱根2区」(徳間書店)。

