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【ワールドカップ】セルジオ越後のサッカー日本代表総括「ケガ人がいなければ...は慰めにならない」「ブラジル戦後の堂安のコメントに救われた」 (2ページ目)

  • 渡辺達也●構成 text by Tatsuya Watanabe

【どういう根拠で「優勝」を目指していたのか】

 前回カタール大会以降の4年間を振り返っても、森保監督は「優勝」を口にし、メディアも「史上最強」と持ち上げていたけど、強い相手と対戦した時には、守ってカウンターというサッカーをしていた。厳しいことを言えば、ドイツ、スペインをカウンターで破った前回のカタール大会からあまり変わっていない。

「よい守備からよい攻撃を」の実態は、守って守って、耐えて耐えてカウンターだ。自分たちがボールを持とうとしていた時期もあったし、すべてを否定するつもりはないけど、結局、強豪相手には守るしかなかった。それが現実。そんななか、どういう根拠で「優勝」を目指していたのか。もしブラジル戦をPK戦に持ち込み、ベスト16に進めたとしても、それ以上は難しかったと思う。

 ただ、そう言う僕自身も、今回はベスト8に勝ち進むチャンスがあると思っていた。ブラジル相手にもカウンターサッカーで勝つチャンスはあると思っていた。甘く見ていたということだね。

 ブラジル戦後、がっかりしながら選手たちのインタビューを見ていたんだけど、インタビュアーが「あと一歩でした」「惜しかった」などと選手を慰めるような質問を投げているなか、堂安が「力不足です」と答えていたのを聞いて救われた気持ちがした。潔かったよ。僕に言われなくても、選手は世界との力の差を理解している。だから、また今後に期待したいね。

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著者プロフィール

  • セルジオ越後

    セルジオ越後 (せるじお・えちご)

    サッカー評論家。1945年生まれ、ブラジル・サンパウロ出身。17歳の時に名門コリンチャンスのテストに合格し、18歳の時にプロ契約を結び、MF、FWとして活躍した。「エラシコ」と呼ばれるフェイントを発案し、ブラジル代表の背番号10を背負った同僚のリベリーノに教えたことでも有名。1972年に日本リーグの藤和不動産(湘南ベルマーレの前身)から誘いを受け、27歳で来日。1978年から日本サッカー協会公認の「さわやかサッカー教室」で全国を回り、開催1000回以上、のべ60万人以上を指導した。H.C.日光アイスバックスのシニアディレクター。日本アンプティサッカー協会最高顧問。公式ホームページ【http://www.sergio-echigo.com】

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